甲板に出ると波の音とカモメの鳴く声が調和されて、心地よい音楽を聴いているようだった。変わり映えのない海が続く景色でも、私の故郷のような内陸国では見られないので、海が目の前にあるというだけで楽しい。
これまでの試験の疲れを忘れさせてくれる……とまではいかないけれど、次までの休息時間としてはちょうど良い。
四次試験、楽しい人は楽しいだろうな。
狩りだなんてハンターらしい試験だ。始まるまで休んでおかなければこちらが狩られるかもしれない。私の能力的に、追うのも追われるのも得意分野じゃない。
幸いなことに人の顔やを覚えるのは得意なので、四次試験のターゲットとなる相手の顔もナンバーもしっかりと頭に浮かんでいる。
心配なのは一週間もサバイバル生活を送るということだ。修行と称して師匠に危険生物が沢山棲んでいるジャングルに放り出されたことを思い出すと、今でもげんなりする。
こちとら温室でぬくぬく育ったのだ。泥も虫も野性的なものもやっぱり得意じゃない。だけど受験する以上、避けられないし仕方のないことだ。
不意に波の音に混じるようにカンカンと階段を上る音がした。誰かの気配を感じたが、気づかないふりをして海から目を逸らさなかった。
「、ここにいたのか」
「皆ピリピリしてるからね。こっちの方がいい。クラピカは?」
「私も似たようなものだ」
微かにクラピカからも緊張した空気を感じ取った。
試験の内容が狩りなのだから誰もが疑心暗鬼になるのはわかる。あの空気に触れると気が滅入るし、こうして外の空気を吸った方が気分転換になる。
隣に並んだクラピカは私と同じように海を眺めている。そうしているうちに試験の前も同じ船に乗っていたことを思い出した。
「そういえば、試験の前の船は景色を楽しむ暇がなかったよね」
「確かに。色々なトラブルに見舞われたからな」
「誰かさん達が喧嘩してたしね」
「耳が痛いな……それは言わないでくれ」
苦々しく笑ったクラピカは冷静なようでいて案外血の気が多い。
昔、兄達の喧嘩を見た姉が放った「男の子なんてそんなもの」という言葉をなぜか今思い出した。でも己の誇りを守るための争いと、おやつの大きさを争う兄弟の喧嘩を一括りにするべきじゃないな。
クラピカも本当はもっと熱い性格なのかなと思いながら、しばらく波の音を聞き黙っていた。
「は試験が終わったらどうするんだ?」
「とりあえず送り出してくれた師匠に会いに行こうかなとは思ってるけど、その後は考えてない」
「国には帰らないんだな」
「それなんだけどさ、誤解をさせた私が悪いんだけど、帰らないんじゃなくて帰れないんだよね」
とりあえず家を出よう、という軽い気持ちが後々大きなことになるとは当時は考えもしなかった。
結果的に家出して良かったと思うのは、今まで知らなかった世界に触れたことや、家にいた頃では生まれなかった感情が芽生えたことだ。
そういう細かいことをかなり省略してしまったので、レオリオを始めとした他の人達に誤解を与えてしまった。
最初の頃は悪いとは思わなかったけれど、何日も苦労を一緒に乗り越えた今、少しずつ申し訳ないと思い始めている。
「兄弟間の問題のせいか?」
「ううん、兄弟は仲良いよ。そうじゃなくて、私お母さんに嫌われてるから」
「殺されそうなほどに?」
おや、と少し驚いて思わず隣を見た。真剣な目をしている相手に下手なことは言えないな。
「すごいね。そんなことまでわかっちゃうんだ」
「殺し屋に狙われていながら無事で、更にその殺し屋が行方不明ということは家の力が働いたとか、そういう何かがあったんだろうと思っただけだよ」
側近や参謀としてものすごく優秀な人材になりそうだ……という場違いなことを考えてしまった。明言しなかったのが流石だ。
殺し屋を仕向けた犯人は、恐らくクラピカが推察する通りだと思う。痕跡を一切残さない周到さは称賛するべきだろう。その一点においては純粋に感心している。
証拠がない以上、私からもはっきりと言うことはできない。そこもクラピカは理解しているだろう。
「理由を聞いても?」
「私がお母さんにすごく似てるからかな」
「……その、同族嫌悪ということか?」
どう思う?と、母に会ったこともないクラピカに聞こうとしてやめた。どう返そうかと言葉に詰まったので視線を逸らして再び海を見た。
母を嫌いではないし、好きでもない。どうでもいい存在と言ってしまえば薄情だが、多分それが一番近い。一方的に憎んでいるのは母の方だし、性格を考えても明らかに同類ではない。
誰かに話そうと思ったことがないので、嘘を吐かずに説明するのがこんなに難しいとは思わなかった。
「話したくないことならすまなかった。嫌な思いをさせてしまったようだ」
「ごめん。そうじゃなくて、考え中だった」
どうも自分が言うと全てが胡散臭くなる気がする。
ほどほどでいいから自分の情報は相手に提供しておけ、と言っていた師匠の言葉はこういうことなんだろう。あの人自身がたまに詐欺師のようなことを言いだすので話半分に聞いていたのだけども……
「聞いてくれて大丈夫。答えられる範囲で答えてるから」
「それならいいのだが」
「私が言うと嘘っぽいよね」
「判断しにくいことだな……を疑うわけではないが、上手く隠されているように感じるのは否定できない」
「隠してたのは、あまり自分のことを話すなって師匠に言われて、同時に嘘は吐くなって言われたからなんだ」
ちょっと矛盾してるよね、と言って再び海を見た。
嘘を吐くのは得意な方だ。知られたくないなら嘘をつけば済むのに、何故わざわざ自分から情報を明かすのか。嘘を吐かないでほどほどに自分の情報を与えるというのが難しく、はじめは師匠の言うことを理解できなかった。
「私の家とキルアの家は多分似てるのかも。閉鎖的な世界でしか生きてこなかったから世間知らずで他の人との関わり方がわからない。どんな人を信用してどんな人を警戒するべきなのかわからない……いや、キルアはすごく器用で上手だと思う。暗殺のために外に出ていたわけだし」
「信頼できる人が周りにいなかったのか?」
「何人かいたけど、皆死んだ。だから家を出た」
クラピカは相槌を挟まず黙って聞いていた。そうしなければ私も死んでいたから、という意味は伝わったと思う。
「二次試験の時、色々考えてたでしょ?」
「そうだな……少しだけ。気づかれていたのか」
「ゴンやレオリオほどじゃないけど、クラピカも結構わかりやすいよ」
褒め言葉のつもりだったのだが、ほんの少しだけクラピカがショックを受けているように見えた。面白かったので敢えて無視した。
「ハンター試験の前に師匠がね、経験を積んでお前が本当に信頼できる相手を見つけろ、ただしそいつらには嘘を吐くなって」
師匠の言葉だと重みがあって胸に熱いものが込み上げたのに、自分で言うと胡散臭さしかない。それでもその言葉の通りでありたいと思ったのでクラピカに嘘は吐きたくなかった。
「ハンター試験が終わったら、ゴン達にも……いや、聞かれたら答えようかな」
「うん、そうだな。私もそれがいいと思う」
「ここまでで私の家がどんなものかわかった?」
「キルアの家のような、そうじゃないような危ない印象はあるが……教えてくれるのか?」
今の流れなら言ってしまえばいいのだろう。
だけど自分から言うのは気恥ずかしい。今クラピカに話したことが、ではなく他の事情のせいだ。
「普通に言うのはつまんないから当ててみて。期限は最終試験が終わるまで」
「どうしていきなりそんな邪悪な顔になるんだ」
「失礼な。楽しそうな顔って言いなさいよ」
同世代の女に向かって邪悪と言い放つ神経もなかなかだ。
そういえば姉も笑った時、そんなことを言われていた気がする。記憶上の姉は美人なのだが、時たま見せる表情が女王様もかくやと言わんばかりの……姉妹だからか?
「……努力はしてみるよ」
「うん、楽しみにしてる」
それきりお互い何も話さず、ただその場で海を眺めていた。これから一時間も経たないうちに試験が始まるというのに、その場所だけは和やかな雰囲気に包まれていた。
……という数日前のクラピカとの会話が大昔のように思えてきた。これは走馬灯かもしれない。
元々裕福な暮らしだったが、好き嫌いの少ない性質なのは家出した後にとても助かった。舌は肥えている方だと思ったが、比較的何でもおいしいと感じる。馬鹿舌ではないと信じたい。
生死に関わりそうな状況で自分が「パンがなければお菓子を云々」と言うような人間ではなかったことを誇りに思う。
「とりあえず火を通せばいいか」
そして集めた薪はごうごうと燃え、獲物もまたごうごうと燃えた。
このジャングルに住む生物を獲ってみたけれど、火加減という概念をすっかり忘れていたので全て黒焦げになってしまった。
炭の味しかしない。食べられないこともないが恐らくこれはゲテモノの部類に入る。心から不味いと思わない時点でやっぱり馬鹿舌なのかもしれない。
二次試験のゆで卵でも加減が分からなかったので、ゴンに助けてもらって合格できた。でもこの四次試験はサバイバルを余儀なくされている。おまけにここ2日、誰とも会っていない。
ナンバープレートは6点分集まった。このまま期日まで守り通せたらこの試験は合格だ。それ以前の死活問題が食事をすることだった。
「あと2日で死ぬかもな……」
ごめんクラピカ、約束守れそうにないかも。心の中で謝罪して、仕方なしに炭の塊と化した魚を齧った。