06
古城は鬱蒼とした森の中にそびえ立っていた。煌びやかな宮廷ではないが、古くもどっしりと構えた佇まいは厳かな雰囲気を醸し出している。
クロロ達の他にも観光客が多く、写真を撮ったりガイドの説明を聞いたりしていた。ここへ訪れる観光客は多いらしく、警備員や案内する係員があちこちに駐在している。要塞として建てられた城は観光地としてはそこそこ有名で、この街の住民とっては昔から強く根付いているシンボルであるとが説明した。平和っぽく見えるこの街に似つかわしくない城だなと思いながら、クロロはの後をついて行った。
「大体どの城にも礼拝堂はありますけど、ここは?」
「ありますよ。今は使われていませんが……あ、そこです」
何人かの観光客とすれ違い、二人は礼拝堂へ入った。女神像と祭壇、そして長椅子がいくつか置かれている。街の教会より小規模だが、今でも手入れや掃除が行き届いているのか、埃っぽさのない清められた空間だった。
部屋に一歩踏み入れた時に奥から妙なオーラを感じて、クロロは礼拝堂の奥にある物に引き寄せられた。
窓の外を眺めているから静かに離れてクロロは祭壇から発せられるオーラに近付く。礼拝堂の祭壇に置かれているのは籠と杯が一つずつ。いずれも空っぽだ。籠にはパンを、杯には葡萄酒を注ぐのだろう。部屋に入った途端すぐに感じた独特のオーラはこの杯から感じたものだった。しかしそれはお宝らしいオーラではなく、色に例えるとしたらどす黒いオーラだ。礼拝堂に似つかわしくない不気味なオーラは、それだけでこの場所で大きな存在感を放っている。さりげない様子でクロロはそれを指してミリアムに尋ねた。
「さん、これっていつも使われてたんですか?」
「うーん、ミサの時に使っていたと思います。私、あまりこの礼拝堂には来たことがないので詳しいことまでは……」
「そっか。結構どれも綺麗なまま残ってるんですね」
興味深そうに展示物を眺めて「いかにも歴史が好きそうな青年」を演じておくのは楽だった。今まで見てきた部屋の装飾は大したことない、というのがクロロの本心だ。お宝にある独特のオーラがどこからも感じられなかった。見た目だけ良くてもその中身に価値がないと意味がない。
杯のオーラは気になるがの前で何かしようとは思わなかった。人の怨念か何かがオーラになった物かもしれないが、果たしてあれが宝として価値があるのか疑問だ。何よりここへ来たのは邪魔な虫を寄せ付けないためであって、歴史の勉強をしに来たわけではないのだ。
礼拝堂を抜けてしばらく歩いた先の派手な装飾品が飾られている部屋をいくつか抜けると、いつの間にか観光客達の声や足音は聞こえなくなっていた。彼らのほとんどは彫刻や絵画に興味が向かうらしく、クロロ達が歩いている武器や鎧が展示されている辺りには誰もいなかった。
コツコツと靴の音が反響して静寂さを引き立たせる。観光客はこの辺りにはいないので、この部屋にいるのはクロロとの二人だけになった。期待していたような物もさっきの杯のような物もなく、クロロはをちらりと見た。彼女は何かをじっと見つめている。その視線の先を追うと彼女が見ているのは、騎士が敵の首を掲げている血なまぐさい絵画だった。クロロの視線に気づいたは誤魔化すように微笑んだ。
「ああ、そういえばここの城主は?」
「この街の方ではありませんけど、正式な城主はいらっしゃいますよ」
「なるほど」
城を保有しているくらいだから金と権力はあるのだろうが、城に興味がなければこんな田舎には住んでいないだろうとクロロは納得した。城自体はなかなかのものだが、それにしては展示してある物が中途半端過ぎる。クロロには金に物を言わせて適当な品を置いただけのようにしか見えなかった。
次の部屋へ行こうとすると、はもう一度だけさっきの絵画を見た。聖職者こそああいう絵は嫌いなのではないかと思ったクロロは、顔色一つ変えずにそれを見たに初めて違和感を感じた。
「あれって有名な絵なんですか?」
「え?あぁ、そういうわけではないんですが……」
クロロより前を歩くの表情は見えなかった。何かを訊けばそれなりの情報を教えてくれるような女であるのに、この時ばかりは口を濁した。ただ興味本位で見ていただけか、それとも何かを隠しているのか。後者である気がしてならなかった。
クロロはそれ以上何も言わないの後姿をじっと見つめ「盗賊の極意」を出した。部屋を出る前に操って吐かせようと考えたのだ。しばらくこの街に滞在する予定なので脅すと色々面倒になるし、どうせ操られている時のことは分からないのだから操作する方が手っ取り早い。を使って神父を利用する方が騒がれないで済む。ついでにその神父を操作できればお宝に早く辿り着けるかもしれないのだ。本当に何も知らなければ用済みになるだけだ。
隙を見て念をかけようとしたがそれは誤算だった。突然が近くに展示してあった剣を掴み、それをクロロに突き刺そうとした。
「おい、何のつもりだ?」
返事はなく、は次の攻撃を仕掛けてきた。なんだこの女、と思いながらクロロはあっさり攻撃をかわし、剣は大きな音を立てて大理石の壁にぶつかった。のそれらしい気配を全く感じなかったが、すぐにクロロは彼女から距離をとった。殺気はなくただ攻撃してきただけだ。クロロが念をかけようとしたのは確かだが、まだこちらからは何もしていない。
はゆっくりと近づいて来る。項垂れているため髪の毛に隠れた顔からは表情を伺うことはできないが、冷静に凝でを見ると身体のあちこちからオーラの糸のような物が出て何処かへ続いていた。仲間にも似たような念を使う女がいるが、彼女の場合操るのは死体だけで、そもそも操作系でもない。
「おい、誰かいるなら出てこい。この女を殺してもいいのか?」
呼びかけても返事はなかったのでクロロは小さく舌打ちをした。気配を探ってもこの辺りに念能力者の気配はない。誰かが遠くから操作しているようだ。
殺す気はなかったがこの状態では殺しかねない。けれども人形のように操られているをこのままにしようとも思っていない。どんな念をかけられているのかは分からないが、自動操作されていることは間違いない。自分の存在を知る念能力者がこの街に潜んでいてはここに来た意味がなくなってしまう。それならそいつも殺してしまえばいい。
仕方ないな、とクロロはため息を吐く。殺さないつもりだったがやむを得ない状況だ。懐から取り出したナイフを投げると、操られたはそれを避けきれずに腕を切った。傷はそこまで深くないがナイフの切れ味は抜群で、の腕からはどくどくと血が溢れていく。そのまま床に膝をつき片手で傷口を押さえて動かなくなった。
相変わらず殺気も何も感じられない。痛みに声を上げることもしない。けれどもその姿は痛みにじっと耐えているようにも見える。クロロはナイフを拾ってから止めを刺そうとゆっくり近づき、の目の前で止まった。
するとはゆっくり立ち上がり、クロロに近付いてくる。目の前まで来た時、腕を押さえていた方の手がクロロの顔に伸びて、その指が唇をなぞった。次の瞬間、は手をクロロの口に押し付け、その指先からほんの僅かの「何か」が口内に入り込んだ。クロロが反射的に突き飛ばすとは体勢を崩して倒れ、床の上で動かなくなった。
「何の真似だ……」
袖で顔についた血を拭い悪態を吐く。窒息させようとしたのだろうか。口内に広がる独特の味は気持ち悪く、クロロは床にそれを吐き捨てた。どす黒いそれは、さっき礼拝堂で見た杯のオーラを彷彿とさせた。
次の瞬間、急にクロロの視界が微かに揺れた。徐々に体や喉が熱くなり、呼吸が少しずつ乱れていくような気がした。新手の念か何かの毒かと考えたがそんな余裕はなかった。訊ねようにもは動かないし、廊下の向こうから誰かが走ってくる音が聞こえてくるのだ。
「……あぁ、ますます面倒なことになった」
ここで倒れるわけにはいかない。常人より毒に耐性はあるので、今のところ体を動かすことに支障はない。床に倒れているをそのままにして、クロロは部屋の窓から飛び降りた。
(2015.08.20)