08

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「聞きたいことは色々あるが順番に聞こう。さっき飲ませた物はなんだ?」

 昼間一緒に街を歩いた青年は品のいい観光客だったのに、今では正反対の顔を覗かせている。だからこそは何故クロロが変貌したのかが分からない。普通の青年ではないということは明らかだった。悪党、泥棒、殺人鬼、今ならどの言葉も当てはまりそうだ。
 クロロは首をごきごきと鳴らしながら部屋を歩き回り、時々の方を見る。暗がりでも夜目が利くため、が震えているのがはっきりと見えた。自分はこんな女に殺されそうになったのかと思うと途端に情けなくなる。

「あ、あれは……あれが何なのかは、言えません。解毒剤、としか」
「随分鉄臭い解毒剤だったな」

 皮肉を込めてみてもは答えようとしない。指を一本ずつ折ったり、顔に傷でもつけていけば吐くだろうか。そんな考えが浮かび、クロロは「盗賊の極意」を出そうかと思った。しかし古城での出来事が脳裏を過ぎる。仲間の女ほどではないが、こういう時に限って勘が働くのだ。

「城で俺を襲ったことを覚えているか?」
「え、襲っ……?あの、一緒に城内に入ったことは覚えています。その後のことはあまり覚えてなくて……」
「こういうことは今回が初めてか?」

 核心を突いたな、と思ったのはが目を見開いたからだった。どうして知っているの、と言いたそうな顔をしたの顔を見てクロロは薄っすらと笑った。
 目の前の男に打ち明けるのは、いいことなのか悪いことなのか、には後者にしか思えてならない。自分の罪を打ち明けるのは女神像の前だけだと思っていたが、ここで言ったら何かが変わるだろうか――気持ちを抑えるようには反射的に自分の腕をきゅっと握った。

「今までも似たようなことはありました……ほんの数回だけですが、たまに自分が何をしていたのか分からなくなる時があります」
「気が付いた時、お前やその周囲はどういう状態だった?」
「ええと、目が覚めるといつも自室のベッドの上でした。体のあちこちが痛くて、どうしてか分からないけれどすごく疲れてしまって……」

 体に力が入らないのはクロロに組み敷かれたり脅迫紛いの言葉を浴びせられているから、というだけではない。前にも経験した体の不調は、今日は特にひどい気がする。なぜ自分が怪我をしているのか、はそれすら分からなかった。
 念を使えないただの女に強制的に攻撃態勢を取らせたのだから当然である。鍛えていない体に無理をさせたらどうなるか、念をかけた人間は気がつかなかったのだろうか。クロロはの気丈夫さに感心した。

「よくそんな状態でここに来られたな」
「そうですね……正直体中が痛いです。でも心配でしたから」
「心配?」
「クロロさんのことが……何か良くないことに巻き込んでしまったんじゃないかと」
「おいおい……どこまで聖職者精神を貫くつもりだ」

 教会で育てられた人間はこんな風に育つのだろうか。クロロは呆れてため息を吐く。しかしいかにも信仰の精神で溢れたようなその言葉の裏に、何かが隠されているのは確かだった。

「じゃあつまり、今までも何か良くないことが起こっていたわけだ」

 は俯いたまま何も言わなかったのでクロロはそれを肯定と受け取った。念を使って拷問しないでおいて正解だったかもしれない――憶測ではあるが、が言う「良くないこと」は、彼女の意図しないところで誰かを傷つけてしまったことなのだろう。
 体を慣らすために部屋を歩き回っていたクロロは、ベッドに腰かけたままのの目の前で膝をついた。つい先刻の出来事の恐怖からは体を強張らせてしまう。覗き込んだ彼女の表情は憂いに満ちていた。

「具体的に悪いことってなんだ?」
「……じ、自分のものじゃない血が手についていたことも、ありました」
「どうしてそれが自分の血じゃないと言える?」

 そこでは押し黙ってしまった。城内で案内をしてもらった時もそうだが、何か隠していることがあれば言葉が出てこなくなるのだろう。悩んでいるようには見えるが、言い訳や嘘を考えているようには見えなかったので、クロロは敢えて黙ってその回答を待った。

「……ええと、香りが違うから?」
「なんだそれ、吸血鬼みたいだな」

 ふっと笑ったクロロの目が初めて和らいだような気がした。昼間に見たあの顔だ。けれどもどちらが本当のクロロなのかと考えてもそんなことは明白だった。
 血の香りが違うと言う女、しかもそれがシスターなのだから、ある意味で不気味だ。クロロが無理矢理飲まされた「解毒剤」というのも血の味が濃かった気がする。街の図書館には血にまつわる文献もあった。クロロが滞在して数日、こんなに毎日血に触れるなんて、平和ボケした街には随分似つかわしくない。
 一瞬気が緩んだせいか、クロロはさっきからがやたらと自分の腕を握りしめていることに気が付いた。古城で怪我をした時の腕だろうと思い、そっと訊ねた。

「痛むのか」
「い、いえ……大丈夫です。あの、クロロさん……」
「なんだ」
「これから何をされるおつもりですか?」

 瞳に不安を滲ませたままはクロロを見つめる。勘がいいのか悪いのか分からないな、とクロロは再び微笑んだ。
 正直に言ったところでこの女がどういう行動に出るか、クロロには大体予想がつく。かと言って嘘を吐く理由もない。しかしが少なからずクロロに対して申し訳ないという念を抱いていることは間違いなかった。それを利用できるかどうかは試してみないと分からない。

「探し物だな。主に二つ。厳密に言うと片方は物じゃないが」
「探し物……?」
「そのためにとりあえずお前を囮にする。まずは……」

 そこまで言って、はたと気づく。クロロは眉尻の下がったを見て疑問を投げかけた。

「そういえばお前、どこに住んでるんだ?」

 修道院のような建物は街にはなかった。それにこの街のシスターはだけなのだから、わざわざ修道院を建てることもなかったのかもしれない。と言うより、これだけ宗教的な文化が浸透している街で、シスターが一人だけというのも不思議な話だ。
 痛む体を引きずってこの宿に来て散々な目に遭ったが、クロロの質問はそれまでの経緯からは考えられない程まともなものだった。それなのには根拠のない嫌な予感がした。

(2016.04.09)