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 古来より火刑とは凶悪犯罪者を罰する目的の他、見せしめとして用いられる。
 神の御元に参るその時まで肉体が残っていなければならないと考える聖職者や信仰者にとっては、最も恐れるべき刑とも言える。
 しかしそれは大昔の話だ。土葬を行う国もあるが以前よりは火葬が普及しているし、宗教的な価値観を現代社会で最重視している国は今では少なくなった。おかしな新興宗教に倒錯していなければの話だが。
 初めて自分の望みを口に出したは、それに対しての返事をクロロからもらえなかった。
 一晩経っていつものように教会へと向かう。家を出る時、眠っているのか眠っているふりをしているのかは分からないが、クロロは目を閉じてソファに横になっていた。
 クロロからは死の匂いがする。五感を以ってしても感じ取れない、第六感によって初めて気が付けるものだ。初めの頃に感じなかったものが今でははっきりと感じられる。
 死相に近い彼自身の死ではなく、多くの死に触れてきた経験そのものとでも言うべきかもしれない。
 紛れのない死の匂い、血の匂いがする。どれだけ拭って綺麗にしても、新しい血の匂いだけは五感で感じ取れる。
 身近には感じなかったはずの匂いなのに、家にいても教会に行っても何故か同じ匂いがすることに気が付いた。そういえば、ここ数日ずっと貧血気味だった。

「この匂い……」

 ステンドグラスから漏れる光を眺めながら、街の様子について話している最中のことだ。
 小さく漏らした声をエリスの耳はしっかりと拾った。参拝客もおらず、教会で二人きり、椅子に座っている。

「匂い?」
「香水の香りでしょうか」
「ああ、私のですね。苦手な香りでしたか?」
「いえ、いいと思います」

 ほんのりとした香りの方が強いが、それに紛れて確かに血の匂いがした。けれど彼女からそれが香るのは不思議なことではない。に会いに来る首都の人間からは、いつも同じ匂いがしている。
 これでは完全に吸血鬼のようだ。あの夜クロロに言われたことを思い出して上手く言い繕った。

「そういえば聞いたことがあります。さんは嗅覚に優れているんですってね」
「神父様は誇張してお話しするので……私が食いしん坊みたいに言うんです」
「鼻が利くのは便利なことですよ。この街は春になると色々な花が咲くから楽しめるでしょう?」
「確かに、今咲いているあの白い花は全く匂わないから春は毎年楽しみですね」

 街のあちこちに咲く可憐な白い花は最早雑草のようにあちこちに生えている。他にも花は沢山あるだろうに、意図したかのように植えてある白い花は見るたびにを憂鬱にさせるのだ。
 まさか嫌いと言えるはずもないので、嫌味は込めずに何気なく言ったつもりだった。しかしエリスはきょとんとしている。

「え?あの花、香りがありますよね?」

 何かが崩れるような感覚がしての顔が引きつった。
 子どもの頃から何度も目にして触れる機会も多かった花だ。しかし一度も花の芳香を感じ取ったことはない。皆同じことを思い、同じことを感じて、それでもなおあの花を愛でているのだと思っていた。
 あの花を嫌う原因は「得体の知れない存在」という未知を潜在意識の中に植え付けるからだ。だがそれは自分の中だけにあるものだった。
 絶望に表情が変わっていくを見たエリスは、場の雰囲気とは正反対に嬉しそうに微笑んだ。

「心配しなくても大丈夫。花の香りがしないと訴えた者は以前にも存在しています。人数は少ないですが」
「え……」
「もちろん黙っていた人もいたのでしょう。可哀想に、自分だけがおかしいのではと震えていたに違いありません」

 知らない話にまた衝撃を受けた。そんな話は聞いたことがない。
 今まで誰も教えてくれなかった。いや、教えようとしなかったのかもしれない。それに、自分も知ろうとしなかった。誰にも言わなかった。花を遠ざけていたのだから当然だ。

「花の香りを感じ取れないというだけで自殺してしまった者もいた。その大半がシスターだった。花なら他にも沢山あるのに……ねえ?」

 同意を求めるような口調ではなかったせいもあり、空返事さえ返すことができなかった。威圧されているような、責められているような、この場の空気が途端に重くなった。
 自殺は罪だ。自殺する人間の気持ちなど分かるはずがない。神から賜った命を殺すなど大罪だ−−幼い頃からそう教え込まれていたからエリスの言っていることは理解できる。
 だがは、自殺を選んだシスター達と自分を重ねてしまった。何も花の匂いにこだわって彼女達は死を選んだのではない。
 つい先刻まで感じていた疎外感は、彼女達の存在が明らかになったおかげで薄れていった。そして彼女達は自分と同じ考えを持っていたはずだ。そうでなければシスターが自殺なんてするはずがない。
 不意にエリスがの方に顔を向けた。いつもであれば心配そうに様子を窺う彼女の顔が、この時ばかりは貼りついた面のように思えてならなかった。

「まさか貴方も、同じことを考えてはいませんよね?」
「同じこと?自殺を?」
「ええ。貴方も彼女達と同じで閉鎖的な場所にいるから」
「まさか、私は……」

 自殺なんて考えたことがない、と言いかけてはたと気付いた。
 昨日クロロに打ち明けたあれは、自殺と変わらないのではないか。直接自分を殺さずとも、誰かに頼むことでも死を選ぶということになるのではないか。
 どちらになるのかには分からない。それを訊ねる相手もいない。エリスに訊けば、きっと神父や首都の修道院の人間に知られてしまう。

「そういえばさん、どうして今回私がこの街に派遣されたと思います?」
「え?」

 唐突にエリスが話題を変えた。空気を入れ替えたかのような爽やかな声だったが、何故か雰囲気の重さは先刻とあまり変わらない。それでもエリスはその気さくさを保ったままだった。

「実は私達、会うのは今回が初めてではないんですよ」
「……失礼ですが、昔お会いしましたか?」

 自分より年上の美しい女性。女学生だった頃、エリスのような先輩は見たことがない。修道院にいた頃は、今よりも閉鎖的な生活をしていたから外の人間に会う機会は限られていた。

「貴方が誰かに襲われた時、精神的に不安定になった時、貧血で倒れた時、その他諸々のトラブルが起こった時に駆けつけるのが私や他の……いや、大体私ですね」
「そんな、貴方は……貴方が?」
「首都に帰る前に予想外の仕事も増えてしまったけど、それより先にいつものを、ね?」

 目線が足元に滑る。エリスの足元には救急箱のような無機質な白い鞄が置いてある。
 この箱も白い。思えば嫌いなものは大体白い色をしている。
 さあ、と自分の腕に伸びてきたエリスの手。身を引いてはそれを避けた。それを意外と思うような反応は見せず、エリスはただ微笑んだ。余裕のあるふりをしているが、彼女は何かを急いでいる。

「今日は、嫌です」
「今日は?じゃあ明日なら?」
「明日も、その次も……嫌です」

 今まで誰に対しても反抗してこなかったせいか、冷静な声で言ったつもりが心臓はこれまでにないくらいばくばくと脈を打っている。
 今度こそ責める言葉を浴びせられるかと思ったが、エリスの顔は変わらなかった。それが余計に恐ろしい。
 あの時のクロロとは違って殺意を向けられているわけではない。殺意ではないならこの圧は何なのか、には分からなかった。

「人並みに笑うようにも悲しむようにもなって、この街に来てから大分落ち着きましたね。首都にいた頃の貴方は酷かった」

 近づく素振りは見せなかったが、蛇のようにじりじりと近づいてくるような気配を感じて思わずは席を立った。
 それでもエリスは動かない。それはまるで、逃げようが隠れようが見つける自信があると宣言しているかのようだった。
 距離を取って後ろに下がる。後ろに出口の扉はない。見えるのはエリスの側にある告解室、ということは自分のすぐ近くにある扉は教会の地下へと繋がる階段の扉だ。追い詰められている。

「だけど今の貴方は初めて見る……今まで拒絶を示すことはなかったのに。貴方の周りをうろつくあの男のせいなのね、きっと」

 不安が重なって全身が冷たくなっていく。クロロを匿っていたこと、彼を巻き込んでしまったこと、首都の人間に知られてしまったこと。
 目の前にエリスの手が伸びてきたのが見えた。それから逃れようとして足がもつれた。
 健やかであれと神父に教えられていたのに、ここ最近は毎日気分が悪い。眩暈がして後ろに倒れる時、ステンドグラス越しに射し込んだ太陽の光が眩しく目を閉じた。
 それとほぼ同時に聖堂にガラスが割れる音が響いて、何事かと確認しようとした。しかし目を開くよりも床に体が倒れる方が早かったのでそれは叶わなかった。


(2018.02.08)