「君は甘い方が好きだったかな。コーヒーには砂糖を入れていたような気がしたが……」
「いえ、紅茶は何も入れなくて大丈夫です」
「そうか。少し待っていてくれ」
御剣さんは台所へ行ってしまった。生活感のない綺麗に片付いたリビングは彼の性格をそのまま表しているかのようだ。一人になったところでほっとため息を吐いた。どうか聞こえていませんように。
近寄るのが苦手だと言ったら落ち込ませてしまうだろうか。私が御剣さんにそんなことを言われたら悲しくて寝込んでしまいそうだ。
どう接したらいいのかが分からないのは経験が浅いせいだと思いたい。だとしたら彼の方はどうだろう。プライベートでも彼は仕事中とほとんど変わらない。御剣さんが成歩堂さんと話している時、素の自分を出している姿を見て少しだけ成歩堂さんに嫉妬してしまった。付き合いが長いからあんな風になれたのだろうか。妬ましいし羨ましい。私だって御剣さんの表情が変わる瞬間を見てみたい。からかってみたい。笑わせてみたい。もっと近寄りたい。
食器の音が目の前で聞こえて、テーブルの上には綺麗なカップとソーサーが置かれていた。見上げた先に不思議な顔をした御剣さんが立っていた。
「……君?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してました」
「難しい顔をしていたが悩み事か?」
「い、いやいやそんなんじゃないですよ。気にしないで下さい」
御剣さんの眉間のヒビが深くなった気がしたけれど見ていないふりをした。せっかく家にお邪魔させてもらっているのに変なことを考えては駄目だ。
執務室のみならず自宅に置いてある紅茶もいい香りだ。私は紅茶に詳しくないけれど市販のものとは全然違うということだけは分かる。御剣さんはいつも一人でこうしてゆったりと紅茶を飲んでいるのだろうか。そもそも彼は休みでも家に帰っているのだろうか。……今初めて気がついた。御剣さんのことについて知らなさすぎる。
「君、その……」
「はい?」
いつもハキハキと話す御剣さんが珍しく言い淀んでいる。顔もいつもの険しい表情ではなく自信のなさそうな表情だ。法廷に立ついつもの彼の姿からは想像もつかない。
続く言葉を待っていると、言い出しにくそうにしてようやく言葉を絞り出した。
「確認しておきたいことがあるんだ。君は私といて楽しいか?」
私が驚いたのはその言葉だけではなく、いつも人の目を真っ直ぐ見ていた御剣さんがこの時ばかりは目を逸らしていたことだ。もしかして不安な時はこんな表情をするのだろうか。御剣さんらしくないと言えばそうだけれどこれも彼の一面だとしたら、私はいつ彼を不安にさせてしまったのだろう。
「もしかして私、つまらなそうに見えましたか?」
「いや、そんなことはないのだが……」
「御剣さんこそ、私といて楽しいですか?」
質問に質問で返すのは卑怯だとは思ったけれど、それは私も常々思っていたことだ。御剣さんならもっと素敵な女性と一緒にいた方が話も合うと思う。それか女版の成歩堂さんとか……やめようそんな考えは。
沈黙はつまり肯定ということなのだろうか。だって御剣さんが言い淀むなんて見たことがない。やっぱりな、と思うのに少しだけ落ち込んでいる自分は矛盾している。けれども思ったより沈黙は短かった。
「この前成歩堂と会ったんだ」
「……へぇ」
「その時に、君達は付き合ってどれくらいだったかと聞かれて」
「……」
「期間が長い割に進歩してないと言われて……君?」
私はきっと成歩堂さんに嫉妬しているのだろう。仕事の都合上なかなか御剣さんとは会えないし、仕事で顔を合わせることができる成歩堂さんが羨ましい。私の知らない御剣さんを知っているのだろう。やっぱり羨ましいを通り越している。成歩堂さんに嫉妬したって何にもならないし、彼は微塵も悪くない。本当に嫌な女だ。
「どうしたんだ?」
「成歩堂さんが女性だったらきっと御剣さんとお似合いだなぁ、と思って」
紅茶を飲んでいる時にこんなことを言ったらきっとむせていただろう。これほど驚いた顔をした御剣さんを見たのも久しぶりだ。法廷で攻撃をくらった時のような表情をしている。
「き、君は一体何を考えているんだ……気色の悪いことを言わないでくれ」
「すみません……でも私は多分、御剣さんが思っている以上に嫉妬深いんです。成歩堂さんが羨ましくて」
憧れていた人も自分を好きだと言ってくれた時はもう死んでもいいと言えるくらい嬉しかった。けれどもその人の理想の中の自分を崩したくなくて汚い部分をずっと隠してきた。それが一番いいことだと信じていたのに何かが違うような気がした。人に気を遣うよりずっと疲れるし、相手に嫌われたらどうしよう、なんて考えもそういう部分がもしかしたら御剣さんを不安にさせていたのかもしれない。
気持ち悪そうな顔をしたままの御剣さんは自分を落ち着かせるためなのか、震えた手でテーブルに置かれていた紅茶を一口飲んだ。
「君が何を考えていたのかはあまり想像したくはないが……私の方こそ君が思っているような人間ではないかもしれない」
「どういう意味ですか?」
「君と同じだよ。嫉妬もするし、他の誰かを羨ましいと思うことだってある」
言いづらいことだったのか、御剣さんは目を伏せてしまった。どんな時でも自信に満ち溢れている彼の、恥ずかしがっているような言いたくなかったような、こんな表情は初めて見た。成歩堂さんと話している時の表情だって、いつも私は御剣さんの隣からしか見ていない。正面から見るのはなんだか新鮮だ。
御剣さんはちらりと私を見た途端に顔が赤くなっていった。それと同時に私の顔もなんだか熱くなってきた。
「……そんなにじっと見つめないでくれないか」
「えっ、あぁ、すみません……えーと、ちなみに誰を羨ましいと思ったんですか?」
赤くなったままの御剣さんはぼそっと「秘密だ」と言って今度こそ完全に私から顔を背けてしまった。こんな御剣さんは見たことがない。
友達同士なら教えてくれるまでしつこく訊いたり茶化したりする。一応これでも友達同士以上の関係であるけれどそんなことをする勇気はない。けれども教えてくれないからと言って嫌な気持ちにはならなかった。
これだ、これが私が理想としてたものだ。いつもと違う御剣さんを私だけが見ている。嬉しくて笑顔がこぼれる。そう思ったけれどそれとは別の笑いがこみ上げてきた。慌てて笑い声を抑えようと手で口元を覆っても意味はなかった。
「ごめんなさい、何かおかしくて……ふふっ」
「……私はそんなにおかしな事を言っただろうか」
「いえ、可愛い御剣さんを見たら嬉しくなっちゃって」
可愛いだと、と驚く御剣さんを見たらますます笑いが止まらなくなってしまった。尊敬できる素敵な人、というのは皆が知っている御剣さんで、本当はもっと色々な表情があるのかもしれない。成歩堂さんでさえ知らない表情があるのかもしれない。
すっかり拗ねてしまった御剣さんはどうすればいつもの彼に戻ってくれるのだろう。不思議なことに焦りは感じない。もう少し堪能して、いつもの彼に戻った時にもう一度「誰に嫉妬したんですか」と聞いてみよう。その時に教えてくれなくても、教えてくれるまでしつこくなってみよう。きっといつか観念して顔を真っ赤にして教えてくれる日が来るに違いない。