審神者になったばかりだというの元に小夜左文字が来てからほんの暫く。いつも忙しそうに刀剣男士の間を右往左往する主はいつでも笑顔を絶やさなかった。小夜の目に映るその姿は、審神者というより普通の女性にしか見えない。力のなさそうな彼女はかつて自分が傷つけた女に重なるような気がして、時々目を逸らしたくなった。
 ある日の午後、内番が終わった後に「休憩しましょう」と言ったについて行った先は台所。机に向かい合わせに座り、小夜はが柿を剥くのをじっと見ていた。二人きりになったのはこれが初めてだ。

「貴方には、復讐したい人はいないの?」

 人に対して信頼する価値を見いだせない。小夜はその思いから主に対してそう訊ねた。は主であって従うべき相手なのだと理解しても、きっといつか自分が失望するような面が見えるのではないか――小夜は本音を射抜くような視線でを見つめた。
 ついさっきまで「あの野菜はいつ実ができるか」なんて話をしていたのにどうしたのだろう。とは言ってもが一方的に話していただけだったが、唐突な小夜の言葉が一瞬分からなかった。少しだけ目を見開いたが、すぐにいつものように微笑み返した。

「今はいませんよ。これから先は分かりませんが」
「じゃあもし復讐するとしたら、誰を使うの?」

 誰、とは即ちこの本丸にいる刀剣達のことを言っているのだろう。小夜がはっきり言わなくともには分かっていた。
 じっと自分を見つめる小夜の目は、純粋な興味に満ちたものではない。いつか自分の主が確実に誰かを憎むだろうという前提があるからこその目だ。歴史を持つ刀剣とはいえ、の目には小夜は小さな子どものように映る。けれども人間の子どもにはないものを秘めているのは確かだ。
 返事をするでもなく、は最初に剥いた柿を皿に乗せると小夜の前に置いた。「召し上がれ」と言われたので小夜は黙って言われた通りにした。

「私はね、歴史に詳しいわけではないから、貴方達のこともまだ勉強中の身なんです」

 いきなり何を言い出すのかと小夜は視線を上げた。首を傾げるなんて可愛らしいことはしないで鋭い目でじっとを見つめる。答えたくないことなのだろうか、は柿の皮を剥く手元から目を離さない。

「一人一人のことを知りたいから知識を得るには時間がかかるけれど……それでも私なりに理解したいと考えています」
「でも普通、刀の主はそんなことは考えないよ」
「私も審神者にならなければそう思わなかったと思います」

 物は所詮人の道具でしかない、感情も何もない物質だとしか考えていなかった。審神者になった今だから、物を大切にしようという気持ちは前より強くなった。だからと言って常にそう考えて神経質な生活をしているわけではない。にとって刀剣男士は「物」ではあるが、同時に自分と少し性質の違う「人間」と同じなのだ。
 胸の内を少しずつ漏らしていくはぽつりぽつりと言葉を続けた。

「こうして刀である貴方達と話していると不思議な気分になる時があります。貴方達は武器であるはずなのに、たまに人間のようにも感じる」
「それは……」
「人間と長く一緒にいたからかもしれませんね。どういう扱いをされたかは刀それぞれだと思いますが……」

 ほんの少しだけ小夜の表情が曇った。自分に何があったのかこの人はもう知っているのだろうかと思ったが、そんなことを尋ねる気にはなれなかった。
 刀剣を人間のようだと表現することをは躊躇わなかったが、小夜にとっては違和感しかない。彼女の口調から、刀剣男士と人間を全く同じものだという響きは全く感じられなかった。
 不意には手に持った包丁の刃をじっと見つめた。小夜が尋ねた意味を考えると、この包丁ですら復讐の道具になり得るのだろう。無言で包丁を見つめるは、小夜の目には不気味に映った。

「もしもですよ。もし私が誰かに復讐するために誰かを殺すとしたら、私は武器や物に頼りたくありません」
「どういうこと?」
「刀などの刃物を使えば刺したり切ったりした感触が手に伝わってくるとは思うのですが……」

 こういう風にね、とは柿を切って見せた。よく研がれた包丁は切れ味がよく、柿の実は全く潰れなかった。艶やかな果実は人間とは程遠いのに、が切った途端、何故か小夜はぞくりとした何かを感じた。

「本当に憎くてたまらない相手なら、私は自分のこの手で首を絞めて殺すと思います」
「……貴方の力じゃ敵わない相手かもしれないのに?」

 小夜はの手を見た。器用に二つ目の柿を切る手は、本丸では他に見ない女の手だ。刀なんて握ったことがない、すぐに折れてしまいそうな普通の女の手。女であるが故にに力があるようには見えない。復讐する相手が同じ女ならどうにかなるかもしれないが、男であったら到底敵わないだろう。
 は包丁を机に置いて自分の両手を見つめた。凶器のない手はなんて貧弱に見えるのだろう――もまた、小夜と同じことを思う。自分はこの本丸の誰よりも無力なのだと思えてくるのだ。

「力で敵わないから道具を使おうだなんて、憎しみが足りないと思いませんか?本当に憎いなら、道具に頼らず直に殺してしまいたくなると思うんです。相手の息の根が直に消える感覚が手にそのまま伝わってくるはずでしょう?」

 から笑みが消えた。けれども自身の手のひらを見つめる彼女は薄っすら笑っているようにも見えて、小夜は得体の知れない恐怖を感じた。
 主の白い手はいつか誰かを殺すかもしれない。主がそれでいいのなら、と従うこともできるが、小夜自身はともかく、きっと何人かの刀剣男士は嘆くだろう。

「……そんなの、理解できないよ。刀は主のために敵を斬ることしかできないのに」
「あら、今の貴方はこんな風に柿も食べているし、私と一緒に買い物に行くことだってできるはずですよ?」

 はいつの間にかいつもの笑顔に戻っていた。実際のところ慌てて繕った笑顔で明るく取り持ったつもりだが、無表情の小夜を見る限り「失敗した」と感じた。

「こんなことを言ったら審神者失格かもしれないから、他の皆には黙っていてくれますか?」
「……何?」
「歴史を変える敵なんて、私は審神者にならなければ本当はどうでも良かったの」

 こんな人間が審神者で主なんて失望させてしまうかもしれない。そう思ったが、小夜の目に見つめられると嘘を吐くことも、本音を隠すこともできなかった。そして困ったように笑っては言葉を続けた。

「敵なんて完全に根絶やしにしなくてもいいから、無事に帰ってきてくれたらそれで充分なんですよ」
「……審神者がそんなこと言っていいの?」
「だから言ったでしょう。内緒にしてくれませんか?」

 まるで恥ずかしいことのようにが言うので、小夜は黙って頷いた。恥ずかしいことだとは思わないが、その考え方が政府にばれたらどうするつもりなのだろうと、小夜は初めての立場を不安に感じた。
 審神者になった時のことを思い出したは思ったより自分がこの生活に馴染んでいることに気がついた。こんなに近い存在になったというのに、小夜達が刀であることを忘れそうになってしまう。それでもやっぱり彼らは「物」で、壊れる時は壊れてしまう。そんな考えが浮かんではぞっとした。

「……もしこの本丸の皆が敵に倒されていなくなってしまったら、小夜の言う通り私の中で復讐したい気持ちが湧いてくるかもしれません」
「でも、敵の数はここにいる刀より多いんでしょ?貴方の手で復讐なんて絶対に無理だよ」

 小夜は自分が主の立場を心配しているのか、主自身を心配しているのかいよいよ分からなくなってきた。の話を聞けば聞くほど「いい人」像から遠ざかっていく。かと言って彼女が悪人だとも思えなかった。
 はついさっき「復讐に道具は使わない」と言ったばかりだ。仮に武器をてにしたところでまさか敵陣に一人で乗り込むなんて真似はしないだろうと、小夜は思わずそれを訊ねた。人間の女が一人で敵うはずがない。けれどもは肯定も否定もしないでただ微笑むだけだった。

「一番いいのは復讐したいなんて思わない、争いのない世界よね」

 夢を見るような口調だった。の言葉を聞いた小夜は一番上の兄を思い浮かべた。和睦を謳っているのに主に従って出陣しているのは少し不思議だったが、こういうところが同じなのかもしれない。そして嘆き方もと兄は似ているのだった。

「誰も憎まず憎まれずの世界は理想的ですが、人間には無理でしょうね」
「どうしたらそんな風になる?」
「うーん……この世から人間がいなくなれば世の中は平和になるかもしれませんね」

 真剣に悩むを、小夜は不可解な面持ちで見た。それこそ難しいことなのでは、と言いたげな小夜の表情を読み取ったは愉快そうにくすくす笑った。なぜ笑われたのか小夜には全く分からない。
 ふとは思いつき、小夜の目の前に手を出して小指を立てると、「約束よ」と言った。そしてきょとんとした表情の小夜に小さく笑いかけた。

「じゃあ、私に復讐なんて行動をさせないように、ちゃんと無事に帰ってきてくれる?」

 傲慢のようにも聞こえる言葉はいかにも人間らしいが、の声にそれは含まれていなかった。約束なんて言っておきながら命令のようにも聞こえる。けれどもそれがにそのつもりがないのは小夜にも分かっていた。

「貴方は私のこと、わがままで嫌な主だと思う?」
「……少し不気味だとは思う。でも、貴方のことは、嫌いじゃないよ」
「本当?ありがとう、嬉しい」

 ぱっと笑顔になったを見て、ますます小夜は彼女のことが分からなくなってきた。そんな小夜が不思議そうにしているのを見て、は微笑ましく思った。
 小夜は恐る恐る指を差し出し、の小指に絡める。きゅっと小指を結ぶ力を込めたに、小夜はそれに答えるように握り返した。