怪人と怪人 上



 鳥も虫もいない空間とは地球が死んだような感覚を生み出すが、風や暗闇までもが不自然で不格好な空間を演出している。
 包帯が解けかかっているのを直そうと手をのばせば、蝿でも追い払うように手を払いのけられた。私は蝿と同等なの?と問いかけるとその怪人は普段よりも数倍恐ろしい顔で私を睨みつける。後ろの茂みにいるであろう顔のない娘達の何人かはヒイ、と空気の抜けるような悲鳴を上げ逃げ去った。

 この怪人は私がこの場所にいることを好まない。同じ年頃の娘が迷い込んだ時のみ、その包帯を巻いた顔から鋭い目をぎらりと覗かせ、獣のような歯を見せて嬉しそうに口を釣り上げるのだ。
 一定の距離感を保つ私達の間には視線がぶつかるのみで、怪人の手にある巨大な鋏は刃に汚れがある、ような気がした。怪人がその鋏で娘の顔をちょん切るとき、血が出るかどうかは知らない。私が今ここに来る前にも誰か顔を切られたのだろうか。しかしそんなことはどうでもいいのだ。

「てめぇ、何をしに来た」
「怪人さんに会いに来たよ」

 この怪人を決して「彼」とは呼ばない。怪人は怪人であって他の何でもない。またおそらく、怪人からすれば私の方が怪人であり、互いが互いに怪人と思っているのだから実に滑稽である。もしくは私をゴミか虫か何かだと思っているかもしれない。それはそれでまた滑稽だ。
 それを良しとしないどころか、私を憎むような目つきの怪人は全く面白くなさそうで、イライラした様子で睨み続けている。いつその鋏が私を切り裂きに来るかわからない状況で、この怪人の畏れを身体にじりじりと感じるのだ。
 包帯取れてるよ、と言っても怪人は直そうとしなかった。私に対する僅かな反抗心なのだろう。

「さっさと帰れ。じゃねえとてめぇの首を切り裂いてやる」
「とおりゃんせの怪人が顔以外を切り裂くとは!新たな噺になるだろうね。しかし人気は出るかな?」

 皮肉ったつもりはないが、それが余計にこの怪人の神経に障ったようだ。怪人を怒らせるつもりは全くないし、それどころかこれくらいで怒らないでいただきたいものだ。
 この怪人は首を切るという愚かな行動は決してしないだろう。それは今語られている都市伝説の本質を違うものに変えてしまうし「顔だけ」を切り取るのがこの噺の恐怖である。「顔以外」を切り裂いてしまったらただの切り裂き魔に成り下がる。何よりまずこの怪人の自尊心がそれを許さないことだろう。若い娘の顔を切り取る、そしてその顔を愛でる。顔のない娘達は閉鎖空間に永遠に閉じ込められ、啜り泣きだけが響き渡る……これがこの怪人のお噺なのだ。
 威嚇のつもりなのだろうか、怪人はちょきん、と大鋏を鳴らして、未だ私を睨みつけている。いつの間にこんなに嫌われてしまったのだろうか、ため息が出てしまう。

「私はその辺にいる娘達と同じような年頃じゃないか。もしかして顔の部品が気に入らないのかな?美人じゃなくて悪いが、これでも私を好いてくれる輩はいるんだ。何故とおりゃんせの怪人は目の前の娘を憎むのかね」

 怪人が全く笑わないので、私に笑いのセンスはないのだろう。圓朝のように上手くいかないものだ。せめて嘲笑ってくれでもすれば少しくらいは傷付くことができたのに。
 不自然な風がそよそよと吹き、怪人の外套がひらひらと風になびく。内側がちらりと見えそうになるが、やはり見ることは叶わなかった。しかしそこに何があるのかを知っている。好奇心か、はたまた他の感情に動かされたかは分からないが、私の足はカラクリのようにゆっくりと動き怪人のもとへ向かう。攻撃される恐れもあったが足は止まろうとしなかった。この怪人はとても大きい。その恐ろしい容貌に飲み込まれそうになりそうだけれど、不思議なことにこの怪人はぴくりとも動かない。
 さっきは顔の包帯に手をのばして払いのけられてしまったが、外套の端を掴んでも怪人は何の反応も見せなかった。あえて怪人の顔を見ることはせずに外套をめくると、沢山の女の顔、顔、顔。
 嗚呼、啜り泣きが聴こえる、悲しそうな声で、帰りたい帰りたい、と涙を流す娘達。私はこの怪人のように顔を美しいと感じることはなく、その代わりに一種の嫉妬にも似たような感情が、ほんの少しだけ芽生えた。

「<小生>の女は美しかろう」

 美しいのだろうか。返す言葉が見つからない。またこの怪人を苛立たせただろうかと、興味本位で自分よりずっと上に位置する怪人の顔を見上げた。驚いたことに、顔を切り取るときのような楽しそうな表情をしている。
 既に知っていたことだが、この怪人と私の美的感覚は大いに異なる。この泣きじゃくる女どもの顔を美しいだなんて、到底思えない。

「どうしたら私の顔もここに収めてくれる?」
「てめぇの顔なんざ切り取っても握り潰してやる」
「言うと思った」

 怪人はいつもの苛ついた顔に戻り、私の着物の胸倉を掴むと鋭い眼光で睨みつけた。足が宙ぶらりん状態なので自然と首が絞められている。苦しいが、私は表情を変えなかった。それが一層怪人を不愉快にさせたのだろう、舌打ちをしたかと思えばそのまま私を近くにあった大木にぶん投げた。ここで涙を見せたら少しは興味を持ってくれるだろうか、と浅はかな考えが浮かぶ。しかしあの女達と同じにはなりたくない。
 怪人は立ったまま私を見下している。なびいた外套の隙間からちらりと一人の娘の顔が見えた。相変わらず泣き続けているその顔、大嫌いだ。女は泣けば許してもらえるとでも思っているのだろうか。泣いたら男が慰めてくれるとでも思っているのだろうか。醜さに反吐が出る。
 外套の中の顔達は私がどう見えているだろう。哀れで醜い女達。そんなお前達は何故この怪人から「美しい」と称賛されるのだろう。

「もしも私がその女達のように泣いたら、とおりゃんせの怪人はどう思うだろうね?」
「くだらねぇ。てめぇには涙腺なんてねぇだろ。それに……」

 期待通りの返事をどうもありがとう。口にはださなかったが怪人は雰囲気で気づいたようだった。
 泣く女がいるなら慰める男か、それを嫌う男がいるのが常だが、この怪人はどちらでもなさそうだ。なんせこれは泣く女を見て喜ぶような怪人なのだから。
 しかし怪人よ、それは私の質問の答えになってない。きっとこの怪人には答えられない。答えてしまったら怪人は怪人でなくなるのだ。お前も、私も。

「<小生>は、てめぇのその張り付いた笑みが憎らしいのでありマス」

 今すぐ殺したいとでも言うように憎しみを込めてそんな言葉を投げつけた。笑顔なんて張り付いたものはもう消せない。お前の女達と同じだよ。どこが違うのかお前に説明できるものか。
 泣く、逃げる、助けを請う女達を追いかける怪人には、ただ笑っている私が怪人に見えるようで、私はそれが嬉しくてまた笑う。怪人を泣かせるくらいの怪人になれよ、なれるものなら。