怪人と怪人 下



 顔のない女達が羨ましいと、あの子が言っていた。

 あの女――がここへ来る度に、顔のない女共がそいつを盾にして隠れる。へばりついた気持ち悪い笑みを浮かべたあの女の策略なのかどうかは分からない。顔のない女以上に表情が読み取れないのだ。
 やはり顔のない女が一番良い、と細道の怪人はいつも思う。この空間には不釣り合いな女に自分の畏れの領域を土足で踏み荒らされるのは気持ちのいいことではない。首を絞めて投げ飛ばしても反撃してこないのは、力では敵わないと思っているからなのか、それとも単になめられているのか。どちらにしてもは細道の怪人にとって煩わしい存在でしかなかった。
 木陰に隠れた顔のない女達を見て思う。こんな風に少しでも怖がる素振りでも見せたら可愛げがあったかもしれない――しかしのそんな表情はちっとも浮かばない。何をしてもあの女の顔が悲しみだとか辛さだとか、そういうものに変わることはないと怪人は知っているのだ。

 その日は珍しい客が来た。怪談を集める役を担う柳田が何かを抱えて怪人を訪ねた。その手に抱えられているのは、眠っている。柳田は女よりも低い頻度でやって来るが、誰かを連れて来たのはこれが初めてだ。
 あの女に負けず劣らず嫌な笑みを浮かべていやがる――怪人は二人を睨みつけた。その表情に答えるように柳田は目を細める。

「この子がね、死んだらここへ放り出してくれって言ってたんだ」

 柳田は細めた目をそのままへ向けた。なんだ死んだのか、と怪人はつまらなそうに視線を送る。
 もう既に動かない女は、生前常に笑みを浮かべ、意味のない行動を取るような奴だった。柳田は木の根元にを座らせるようにそっと置いた。女の死に顔には表情という表情がない。あの気に入らない笑みではなくとも、怪人にとっては全くそそられない顔だ。
 しかし何故この女が最後の場所にここを選んだのか。怪人には見当もつかなかった。すると柳田はくつくつと笑い、の頭を一撫でした。

「君達は本当に仲が良かったんだね」
「黙れ。殺すぞ」
「おお怖い怖い……あぁそうだ。死体は好きにしていいそうだよ、顔以外はね」
「切り刻んでも文句を垂れる口なんてねぇだろ」
「君だけじゃなく、この細道がどうなるのか予想がつくなら好きにすればいいんじゃない哉。彼女が何もせず死体を残すと思うかい?」

 威嚇されていても柳田は怯まない。その態度が更に怪人を苛立たせた。畏れが消えたら怪人も消えてしまうのはお互いに良いことではない。
 の着物にも四肢にも傷はない。自分の領域に足を踏み入れるたびに憎たらしい口を叩いていた女が、今ではうんともすんとも言わなくなってしまった。怪人にとってそれは愉快なことだが、予想していなかった厄介な置き土産が残ってしまったのだ。

「じゃあ僕はそろそろ行くよ。仲良くね」

 死体に何を仲良くする必要があるのだ。消えていく柳田の後ろ姿を睨みつけ、彼が消えると今度はの方を睨んだ。
 ゆっくりと歩み寄り、木にもたれ掛かっているの死体を思い切り蹴ると、すぐにそれは倒れてしまった。確かに死んでいる。それを実感した途端、興が冷めた怪人はその場を立ち去った。





 細道の怪人に見つからないように隠れていた顔のない少女は、もう見慣れてしまった土地で見慣れないものを見つけた。
 ゆっくり近づいてみるとそれは見覚えのある藤色の着物、黒光りしている下駄、長い髪……いつの日か面をつけていたあの女である。少女は駆け寄ろうとすると違和感を覚えた。
 綺麗な着物が汚れてしまうのに、女が倒れ込んでいるのはどうしてだろう。具合でも悪いのだろうかと思ったが、すぐ傍に来るまで分からなかった。もう女は死んでいるのだ。それでも眠っているものかと思い、死んでいると分かるまでしばらく時間がかかった。
 女の顔に流れる髪をどけて仰向けにさせると、少女にとっては随分久しい「顔」があった。傷一つなく、眠っているようにも見えるその表情は安らかだ。女の顔に手を添えても温かさも冷たさも感じ取れないのは、自分のせいか女のせいか、はたまたこの場所のせいかは分からない。
 この顔もあの怪人によって切り取られてしまうのだろうか――その思いが過ぎった少女は、怪人への恐怖よりもこの顔が切り取られてしまう恐怖の方が大きかった。どうするべきだろうかと迷っている少女の後ろで大きな影が現れる。

「そこをどけ」

 音も気配もなかった。あの怪人が少女と死んだ女を見下ろしている。自分の顔が切り取られた時のことを思い出した少女は怖くて足がすくんでしまった。
 顔のない今の自分に、これ以上この怪人は何ができようか。幼い少女にそんな考えが浮かぶはずもなかった。恐怖が再び襲ってくる。怪人の外套の裏側の少女の顔に恐怖の表情が浮かぶ。
 怪人は動かない少女に苛立ちを覚え、もう一睨みすると少女は悲鳴を上げて走り去って行った。

 厄介なものを残してくれた――怪人は柳田を恨んだ。女の死体を見下ろすと、切り刻んでしまいたい衝動に駆られる。初めて見る女の笑み以外の表情は、面をつけているかのように「無」を表している。しばらく顔を見ていても、勿論女が目を覚ますことあない。
 怪人はこんな表情を好まない。唯一好むのは苦痛や恐怖に歪む顔だ。涙を流せば尚のこと良い。この女があの忌々しい笑み以外の表情をしようが好まないだろうと怪人は思っていた。そして女も生前それを自負していた。しかし今「無」の表情をこの女が浮かべることになるとは、考えてみれば滑稽なものだ。

「……あの笑みより、今の表情の方が切り刻みたくなりマス」

 狂気じみたその言葉は、女が生きていたなら年頃の娘のように、ぱっと笑顔になって喜んだだろう。それを一種の愛のように考えていた女はもう喋らない、動かない。何を考えていたのか分からない女は、今では細道の怪人である自分より怪人らしくなってしまった。
 人間の女にでも生まれ変わったならば、あの憎たらし表情以外の顔でここまでやって来ればいい。そうしたら今まで切り取って来た女達よりも残虐な方法でその顔を自分のものにしてやれる――怪人は女の顔を一撫でして、さび付いた大きな鋏を勢いよく振り上げると、