職場を間違えたかもしれない。それに気付いたのは務めてから1か月程経った後のことだった。今更どうしようもないのだけれど、気付くのが遅すぎたなと我ながら呆れてしまう。
ジムトレーナーの仕事は主に挑戦者とのバトル。そうは言っても道路にいるようなトレーナーのように荒っぽい勝負をするのではなく、あくまでも相手をジムの挑戦者として受け入れる。単純な勝ち負けを決めるバトルではなく、挑戦者の実力を見極めるのだ。ジムリーダーと対等に戦えない相手だと判断すれば、早いうちに勝負を決めてしまっても構わない。逆に実力のある挑戦者であると分かれば、自分は勝負から身を引いてジムリーダーに後を任せる。
ジムリーダーのバトルを間近で見て学ぼうと思った。でもそれは表向きの理由で、私の底意地の悪さがいつもバトルを邪魔するのだ。
「マキシさ……マキシマム仮面、待ってくださ……もう体力が……」
もう何十分くらい沼に浸かっていることだろう。なかなか前に進めないし息が切れる。ノモセ大湿原に来るのは今月に入ってもう何度目だろう。少し遠くで信じられない程すいすい進むジムリーダーを見て、少し恨めしい気持ちになった。
職場となるジムはどこでもよかった。一つのタイプのエキスパートというわけではなかったし、持っていないタイプなら一から育てていけばいい。運よく相棒のネオラントが活躍できそうなジムに就職できたはいいが、肝心のリーダーがこれでは私の目的が達成されない。
「甘いぞお!ノモセのジムトレーナーたる者これくらいこなさないとなぁ!」
そう言ってマキシさん……マキシマム仮面はどんどん進んでいく。プロレスラーの体力恐るべし。そしていつもこの湿原の水ポケモン達と戯れている。ちょっと目を離した隙にジムから消えて結局私が探す羽目になるのだ。勿論積極的に探しに来たわけではなく、先輩のジムトレーナーに言われたから。新入社員の扱いってどこもこんな感じなのだろうか。
豪快な笑いが聞こえる。沼地の横の道を走るグレッグルと競争していた。沼地ってこんなに速く走れるものだろうか。この変な仮面をつけたおじさんがこの町のジムリーダーなのだ。よくノモセは崩壊せずにここまで美しい街を保ってきたものだな、と常々思う。実際に話してみると彼がとてもいい人だということは分かるのだが、それとこれとは話が別だ。
「マキシさん……マキシマム仮面、ジムはいいんですか?」
「ジムトレーナーがいれば安心だろ!」
「私もジムトレーナーなんですけど……」
「お前は新入りだからあ!俺が直々に鍛えてやらないとなあ!」
私、鍛えられていたのか。鍛えるって普通はバトルセンスを磨くとかレベルを上げるとかそういうものだと思う。この人は私をプロレスラーの道に引き込むつもりなのだろうか。そのうち彼の自慢のフローゼルもムキムキに……あまり想像したくない。ゴーリキーじゃあるまいし。
やっと追いつきそうな距離まで来ると、マキシさん……マキシマム仮面はトレーニングを始めていた。こんな場所でこんなことをしている時でさえ仮面を取らない。そういえば外国人だったっけ。でもたまにシンオウ訛りが出るのはどうしてだろう。
そろそろ帰りませんか、と声をかけようかと思ったら、私に背を向けたまま彼は訊ねた。
「お前はどうしてジムトレーナーになった?」
「え?あぁ……ジムリーダーのバトルを近くで見て勉強したい、からです」
「本当にそうか?」
目を見られているわけではないのにどきっとした。背を向けているのに見透かされているような気分だ。本当です、と返したら「そうか」と一言。敢えて聞かなかっただけかもしれない。
「それなら尚更まだ実戦させるわけにはいかないな!」
トレーニング量を増やすつもりらしい。急に立ち上がって走り出した。もう私の体力が限界なのに、と思ったけれど、数ヶ月間彼のトレーニングに付き合っていたらいつの間にか疲れにくくなってしまった。
追いつこうと必死に走っていると、ずるっと足元が滑った。泥だ、泥を踏んでしまった。そう思うが早いか、そのまま沼に落ちてしまった。こんな形でダイビングなんてしたくなかった。
「泥パックだな?よおし!」
浮き上がって口に含んでしまった泥を吐き出した途端、これだ。今度はマキシさん……マキシマム仮面が勢いよく沼の中へダイビングした。そして私にその飛沫がかかる。お互い泥にまみれてシルエットしか分からない状態になってしまった。私の気分は落ちていく一方なのに、この人はどんどん上昇していく。
呆れていると、湿原の水草の陰からウパーがひょっこり顔を出した。私はいつもここやサファリパークに行くと必ずと言っていい程ポケモンに逃げられる。けれども流石はジムリーダー、彼は逆に惹きつける力を持っているようだ。ウパーは彼の方に近づいていく。
「マキシさん……マキシマム仮面はすごいですね。私すぐ逃げられちゃうのに」
「それはお前が泥のような心を持っているからだ!」
この人、豪快に笑いながらすごいことを言った。勿論全然嬉しくないが、本当に自分でもその通りだと思う。でもそんな人間を雇ってしまうのだから、彼は案外人を見る目はない気がする。
泥のような心か、思い当たるのはただ一つ。私がジムトレーナーになった動機だ。バトルを間近で見て学びたいなんて、表向きの理由でしかない。ジムリーダーに辿り着く前に私のようなジムトレーナーと戦って、ボロボロに負けて帰っていく挑戦者が見たかったのだ。他人の不幸は蜜の味、とも言える。本当に最低だと思う。そんなんだから彼氏できないのよ、と友達に何度も言われた言葉を思い出し、彼氏どころかポケモンすら寄り付いてこないわよ、と聞こえたような気がした。
「流れる水のように綺麗になりたかったら!俺とトレーニングを続けて!心を洗い流せ!」
マキシさん……マキシマム仮面は、ウパーを高い高いしながらまた笑った。そのウパーを見て、周りの仲間らしいウパー達がぞろぞろと彼の元へ駆けていく。
やっぱり最初から私のことはお見通しだったのだ。この人は泥に塗れた私を見て汚いと思わなかったのだろうか。それとも彼自身が綺麗な水のような人間だから、私の泥を洗い落としてやろうと考えたのだろうか。でも彼はそんなこと、一言も言わなかった。何を考えているのか分からない。
汚くこびりついた私の泥を洗い流したら、果たして彼は私をジムトレーナーとして認めてくれるのだろうか。単純に考えたら汚染された水なんて見た目は綺麗でも中身は汚いと思う。それとも本当に彼のように綺麗な水で満たされるのだろうか。泥の中で泳ぐような私が。