証拠は充分、残るは理由



 さん、と呼んでくれる時の彼はとても可愛らしかった。高校生男子相手に可愛いというのはどうなんだ、と自分でも思う。あと数年もすればきっとお兄さんにそっくりになるかもしれない。そしたらもう可愛いと言えなくなりそうな気がする。きっと牙琉先生と同じように、もしくはそれ以上に素敵な男性になるのだろう。私の響也君に対して考えることはいつもそんな風なことばかりだった。

「こんにちは」

 事務所を開けて暫く経ち、お昼を過ぎてから響也君は訪ねてきた。相変わらずの爽やかな笑顔を見るとなんだか私も嬉しくなる。

「いらっしゃい、久しぶりね。今日は先生いないよ?」
「法廷ならもう何度も見に行ってるからいいんですよ。それより、ほら」

 響也君は笑って掲げて見せたのは可愛い袋は、私の好きなお店の物だった。思わずあっと声が出て頬が緩む。

さん、前に好きだって言ってたでしょ?ここに来る前に寄って来たんです」
「わざわざ買ってきてくれたの?ありがとう。お茶淹れてくるからちょっと待ってね」

 先生の代わりに事務所で留守番をしていたが、事務仕事を淡々と行う他はほとんどすることがない。事務所はいつも綺麗に掃除が行き届き、棚や机も整理整頓されているし、急いでまとめなければいけない依頼もない。暇だな、と思っていた矢先の訪問者は嬉しくて、先生には申し訳ないけれど暇で良かった。
 どうぞ、と言った響也君からケーキの箱を受け取った時に気がついた。前はもう少し距離が近かったのに、少し遠のいたような……

「響也君また背伸びた?」
「そうかな?さんが縮んだんじゃない?」
「ふふ、そうかもねー」

 定期的に事務所に遊びに来てくれるから普段なら気が付かなかった。ここ最近ではあまり来なかったから、久しぶりに会うとこんなに印象が変わるものなのだろうか。最近あまり事務所に顔を出さないなと思っていたら、留学の準備で忙しかったようだ。「やっと一段落しました」と言って響也君も席に着いた。
 正面に座る響也君は、私服の奇抜さに反してとても礼儀正しい。そういうところは先生に似ている。彼が買ってきてくれたケーキを食べるのは久しぶりだ。こういうのは一人で食べるより、誰かとゆったりお喋りしながら食べるからより美味しく感じるのだろう。

「じゃあ来月にはもうアメリカに行っちゃうんだ?」
「はい。楽しみだけど日本を離れるのはちょっと寂しいな」

 テミス学園の秀才君は留学先で検事の勉強をするのだ。当分会えなくなるのは私も寂しい。でも先生の方がもっと寂しいのではないだろうか。そんなことを言ってみると「兄貴が寂しがるなんて想像つかないよ」と笑われた。言われてみれば確かにそうかもしれないけれど、先生はそういう感情を表に出さないだけな気がする。
 私がケーキを半分食べ終えた頃、ちょうど響也君もフォークを置いた。今まで気がつかなかったけれど、彼とは何かとタイミングが合うような気がする……いや、もしかしたら気のせいかも。ということを言おうとした矢先だった。

さん」
「ん?」
「僕、さんが好きです」

 ちょうどカップを口元まで運んだ時だ。今何か聞こえたような、というレベルの声量ではない、はっきりとした声。響也君の真剣な表情は牙琉先生にそっくりだ。飲もうとしていた紅茶のカップを、無意識のうちに喉を通らないままソーサーに戻してしまった。
 こんなに真っ直ぐな言葉になんて返したらいいのか悩んでいると、響也君は困ったように笑った。

「聞こえました?」
「あ……うん、聞こえた、けど」
さんは僕のことどう思ってる?」

 からかわれているのかと思った。でも響也君はいつもの笑顔を浮かべていない。普段からは想像できない真面目な顔つきの微笑み方。それは少しぎこちなかった。
 好き、というニュアンスがそういう意味での好き、ということは私にも分かる。好きだから付き合って、という意味で言ったようには聞こえなかった。純粋に好意を向けられたのだから、尚更どう答えたらいいのか分からないのだ。
 私が高校生だった頃と比べると、彼の高校生活はとても充実しているように見える。成績だっていいみたいだし、クラスに可愛い女の子だって沢山いるんじゃないだろうか。というか、彼女の一人や二人くらいいるものだと思っていた。でも今はそんなことを冗談めかして言える雰囲気ではない。

「……私はね、響也君のことはずっと可愛いなぁって思ってたよ」
「それって僕が年下だから?」
「う、うん……そうなのかも。弟みたいな存在、かな」

 真剣な相手には真剣に答えないと失礼だ。少し悩んでから自分の正直な気持ちを打ち明けると「そっか」と言って響也君は笑った。その表情を見るとなんだか胸が苦しくなる。真剣に、というか正直すぎたかもしれない。でも嫌いというわけではなくて、むしろ好きなのに。でもその好意はきっと響也君が期待しているものじゃない。

「そんな顔しないで下さい」
「……ごめん」
「僕の方こそすみません。困らせたかったわけじゃないんだ。しばらく会えなくなるから先に言っておこうと思って」

 しばらく会えなくなる、という言葉の意味の重さを今やっと感じた。それなのに私は響也君に嫌な思いをさせてしまったのかもしれない。そんな気持ちにさせたまま留学に送り出すなんて、今日は何一つ響也君にいい思いをさせてあげられていない。それどころか、気落ちさせる一方だ。
 謝罪の言葉以外何を言えばいいのか分からなかった。他の言葉が見つからなくて居たたまれない。目の前の食べかけのケーキでさえ、今は喉を通りそうになかった。

「一つ聞いてもいいですか?」
「うん」
さんは兄貴のことが好きなの?」

 さっきと同じ真剣な顔。似たような顔は毎日職場で見ているのに、その真剣さに射抜かれてしまいそうになる。というか、先生を見る私の目ってそんなに恋い焦がれていたのだろうか……明日から気をつけよう。

「上司としては尊敬してるけど、そういう気持ちはないよ」
「そっか……」

 響也君はさっきと同じ言葉を呟いた。少しだけほっとしたように見える。いつも紳士的で話しやすくて人懐こい響也君でも先生に嫉妬したりするのだろうか。しかも私が原因なんて。ちょっと嬉しいと思うのに何故か複雑だ。
 私がこの事務所に来てしばらく経つ。その間に何度響也君はここへ足を運んだのだろう。数えたことはなかったけれど、頻繁に来てくれていたことは確かだ。しばらくそれもなくなってしまう。なのに実感が湧かないせいか寂しい感情が芽生えない。私の響也くんに対する想いはこんなに淡白なものだったのか、と思うとそっちの方が寂しい。

「私も聞きたいことがあるんだけど」
「うん、何?」
「あの、どうして響也君は、私のこと……」
「好きになったかって?」
「う、うん……」

 すごく恥ずかしい質問だった。言い損ねた言葉を拾われると更に恥ずかしい。理由を聞いているだけなのに、なんとも言えない羞恥心が芽生えてくる。
 響也君は学生のうちにできることを楽しんだ方がいい。同じクラスの女の子と仲良くするのもいいし、留学先で外国人の彼女を作るのもいい。でもそんなことを私が言っても余計なお世話だろうし、せっかく胸の内を告白してくれた響也君にその仕打ちは失礼すぎる。それに私に説得力がない。私も高校生の時は彼氏なんていなかったし……
 そうだなぁ、と響也君は顎に手を当てて考え始めた。どきどきしながらその答えを待っていると、ふとした瞬間に目が合って響也君はいつもの笑顔になった。

「うーん、内緒」
「……えっ、なんで!?」
「当ててみて下さい」
「えぇ……そんなの分かるわけないよ」
「じゃあさん、しばらく考えてみて。僕が帰国した時に答え合わせしよう」

 すごくいいことを思いついた、という顔で響也君は提案した。響也君が帰ってくるのは当分先だったはずだ。それまで考えておけばいいのだから猶予は長い……なんて前向きな考えはできなかった。

「今教えてくれてもいいじゃない」
「だってさん、すごく聞きたそうにしてるんだもの。意地悪したくなっちゃった」

 響也君は楽しそうに声を押し殺している。笑いを堪えているつもりなんだろうけれど堪えられていない。多少からかわれているような気がしないでもないけれど、留学に行ってしまう前に笑顔を見ることができて良かった。ちょっと腑に落ちないけれど。
 帰国した時にどんな顔をして会えばいいのだろう。ほんの少し会わなかっただけでも背が伸びたと感じるのだから、何か月も会わないとなるとかなり変化するはずだ。見た目だけではなく、性格や興味までもが変わっても不思議じゃない。

「帰国する頃には向こうで彼女作ってたりして……」
「あ、疑ってる?ひどいなぁ。僕ってこう見えて一途なんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「だからちゃんと僕のこと、待ってて下さいね」

 さらりとすごいことを言った。一途と言うか、意外と重いタイプだったりして……いやまさか。そんなことを言えるはずもなく、黙って頷いてやっと紅茶を喉に流し込んだ。
 そんな笑顔で言われては嫌だとも言えないし、そもそも嫌ではない。そう思っている時点で私は既に絆されているのかもしれない。それでもやっぱり私にとっての響也君が可愛い弟のような存在であることは変わりなくて、ある意味で次に再会する時が待ち遠しいし恐ろしく感じた。