待人の花



 もうすぐ元服する頃だったか、それとももう少し前だったか。とにかくそれは大阪城での暮らしにまだ慣れていない頃のことだ。
 呼び寄せてもなかなか姫が顔を出しに来ない。お転婆で仕方がないと側に控えていた半兵衛がため息を吐いた。探してきてくれるかと秀吉に言われ、佐吉は少し戸惑う。けれども頼んだぞと言われてしまえば、その躊躇を振り払い喜んでその仕事を引き受けた。
 急ぎはしないからと言われたが、主君の為とあらば全力を尽くそうとするのはこの頃から変わらない。足早に廊下を歩き姫君の姿を探し始めた。
 真面目な気質とは言え、この頃の佐吉はまだ見ぬ姫君の姿を想像するだけの少年らしさがあった。何せ初めて主君の御息女である姫君に会うのだ。どんな御方だろうと勝手な姫君像を膨らませてしまったのである。それ故に彼女がどんな見目であるかを確認しなかったのだが、それに彼が気づくこともなく。
 佐吉は常々緊張感を保っているが、いつもより更に神経を尖らせていると自分の後ろから誰かの視線を感じた。一度止まってちらりと見たが誰もいない。再び歩いて廊下の角を曲がる前に待ち伏せていると、その相手はいとも簡単に引っかかった。

「うわっ、見つかっちゃった」
「なんだお前は。こんな所で何をしている」
「あなたこそ何をしてるの?」
「お前には関係ない」
「え〜教えてくれないと勝手について行くよ」

 五つ六つ歳下と言ったところだろうか。見るからに幼い童女に、大人げなくも佐吉はあからさまに嫌悪した。
 女中見習いか、それともどこかの武将の娘だろうか。後者であれば滅多な口を効けたものではないが、童女の服があちこち汚れていたからその可能性は低いのでは、と考えた。

「……お前、様を見なかったか」

 佐吉の言葉に童女は一瞬だけ目を丸くして「うーん」と考える。それからにこり、ではなく、にやりと笑った。

「さっき見た」
「本当か!?」
「うん。なぜ探しているの?」
「秀吉様に命じられたからだ」
「ふーん……じゃあ案内してあげる。こっち!」

 ぱたぱたと童女が走り出したので佐吉も慌ててその後を追いかける。走るなと注意すれば何やらぶつぶつ言われたが童女は素直に従った。
 姫の行方を知る者がいたからこれで一安心、というわけにはいかない。案内されたところでどうやって姫君に切り出せばいいのか、佐吉の頭の中はその憂慮で埋め尽くされていた。そのためこの童女がどういう者であるのかなど考えもしなかった。もちろん名前や身分などにも興味がない。
 すいすいと泳ぐように廊下を進む童女は不思議と人が通らない場所を通っているような気がした。しかし城内に詳しいのか童女が途中で道に迷うことはなかった。

「ね、名前はなんと言うの?」
「……佐吉だ」
「ち……ひでよし様のお小姓様?」
「そうだ」
「へぇ〜」

 いつの間にか隣に並んでいた童女は佐吉をじっと見上げた。頭の天辺から爪先まで見られていい気分になるわけがない。おまけに口の利き方もなっていないから不愉快極まりない。

「あまりじろじろ見るな」
「いいじゃない別に……あっ」
「なんだ?」
「やっぱりそっちは駄目。こっちこっち」
「おい待て!」

 急に佐吉の腕を取って引き返した。小さな体で精一杯引きずるように歩く様は、その場から逃げようとしているようにも見える。
 ちょうどその時、反対側から女中らしき女達が向かってきていたのだが、佐吉はそれに気がつかなかった。
 ぐいぐいと腕を引かれるのが嫌で途中で振り払うと童女は鈴を張ったような目を丸くした。が、何か言うわけでもなく口元に弧を描くだけで特に気にした様子もない。すぐに他のことに目が移ったのか「あ」と声を上げて何処かを指さした。

「お庭を通っていきましょう」
「何故急に道を変えたんだ?」
「姫はお花が好きなのよ。お庭にいることだって多いの」
「そうなのか」

 童女は花を、佐吉は庭全体を見やるが、ここには誰もいない。
 庭に咲く紫陽花を見て童女の言葉に納得した。雨露が乗った紫陽花は手入れが届いているおかげで美しい。主君の御息女はこうした物を愛でられるのだろう。目の前の童女も同じように紫陽花をそんな目で見ているのだが、残念ながら佐吉の目には入らなかった。
 紫陽花が欲しいと童女が漏らしたので佐吉は首根っこを掴んで廊下まで戻った。姫が好まれる物が彼女以外の手に渡るのは良くない。無理矢理引っ張ってしまったのはこれでお互い様なのだが、童女のことだからこの場で泣かれたら困ると言うより面倒だ。
 しかし童女は引っ張られた襟元を直すと愉快そうに笑った。

「勝手なことをするな。様が大切にされている花なのだろう」
「それじゃ、ひでよし様が許可したらいいのね?」
「あの御方がお前なんかに許可を出すわけがないだろう」
「うふふ。それもそうね」

 残念だなぁと言う童女の顔は明るい。幼いわりに泣き言を漏らさないことだけは褒めてやろうと佐吉は心の中で呟いた。ちょうどその時、じっと見つめられたその瞳に覚えがあったような気がしたからそう思ったのかもしれない。

「佐吉はひでよし様、好き?」
「そんなに軽々しい気持ちではない。一言では表せないほど尊敬している」
「そうなんだ。よかった」
「良かった?何故お前がそんなことを言うんだ」
「だって側にいるのがそういう人じゃないと、ひでよし様も嬉しくないでしょう」

 自分を良し悪しを判断するのは主君である秀吉のみ。小娘が何を、と思ったが言われてみると案外悪くはなかった。
 途端に童女が小走りで駆けだしたので慌てて追いかける。くるりと回って佐吉の方を向くとすぐ近くの閉じられた部屋を指さした。

「ここよ。姫様のお部屋」
「そうか。それじゃ……」
「私が呼んでくるから、佐吉はひでよし様に今から行くと教えてあげて」
「なんだと?私は秀吉様に姫を連れてくるように言われたんだ」
「みだしなみを整えてから会いに行かないとひでよし様に失礼でしょう。女子だもの、少し支度に時間がかかるのよ」

 童女の言葉にそれもそうかと頷く。流石は秀吉様の御息女であらせられる。父親がこの城の主であることを幼いながらに理解しているのだろうと佐吉は感心した。
 早く秀吉のところへ参ろうとしたところで童女に呼び止められる。振り向くと彼女はにんまりと笑い「じゃあ後でね」と言って部屋の中へと消えた。

 佐吉は再び秀吉の所へ赴き報告を済ませて姫君を待っていた。
 次第に近づく足音に珍しくどきどきと心臓を高鳴らせる。その高鳴りは、本当は自分が目通りしたかった、あの童女に任せて大丈夫だったのだろうか、という不安も少なからず含んでいる。
 ぱたぱたと小さな足音がすぐ側で止まった。父上、と襖を隔てた声が聞こえる。それに聞き覚えがあったせいで佐吉の体温は一気に下がり、背中に冷や汗が流れた。
 まさか、いやまさか。まだ少年だと言っても佐吉はそこらの家臣よりも聡い。何故疑問に思わなかったのか、どうして確認しなかったのか、そして何故自分を咎めなかったのか。自分を責めるような疑問ばかりがいくつも浮かんだ。
 覚悟はしていたが声の主はやはりあの童女だった。色んな意味で恐ろしくて佐吉はまともに彼女の顔を見ることができなかった。打掛を羽織った童女は秀吉のところまでとことこ歩き、しかも彼の隣に座って笑うものだから佐吉の頭はいよいよ真っ白になってしまった。
 また遊んでいたのだろうと呆れた半兵衛が童女の顔についた汚れを布で拭いたことさえ、夢でも見ているのかと思うほどに信じがたいことだった。
 とは言ってもすぐに信じることになるのだが、再び童女に声をかけられるまで佐吉はずっと硬直したままだった。

「父上のお許しをいただきました。佐吉、わたくしとお庭に遊びに行きましょう」

 上の空で返事をしたが佐吉の体は動かない。小首を傾げた姫がいそいそとやって来て、佐吉の頬をつんと突っついた。はっとした佐吉は白い顔をほんのり赤く染める。
 やっと反応してくれた。小さな姫君は満足そうに顔を綻ばせた。





「くだけた口調の三成は後にも先にもあの時だけでしたね。寂しいわ」
「……あの時は大変な無礼を働いてしまったと、今でも猛省しております」
「別にいいと言っているのに。あの時のそなたは愛らしかった」

 遠征先に咲いていたという桃の花を三成からもらい、今しがた活けたところだ。
 雨の季節には城の庭に咲く紫陽花とは違う色のものをもらった。初めて佐吉と呼んだ日からの部屋に花がなかったことはない。
 佐吉と名乗った少年は今では三成と呼ばれ上背のある青年になった。眼光一つで人も殺せそうなものだが、かつての少年らしさを持った彼を知っているせいか時々からかいたくなる。この城で何人がそうすることを許されるだろうか。
 しかし姫君の戯れだと分かっていても三成にとっては悔やむべき恥ずかしい思い出でしかない。

「三成はいつも花をくれるけれど、これはあの時の詫びということなのかしら?」
「決してそのようなことは御座いません!それは……」
「うふふ、冗談です。そなたはそんな回りくどいことをしないと分かっています。いや、できないと言った方が良いのかしら」

 一緒に庭で遊んだ(と言うより遊んでもらった)ことが懐かしい。あの頃から全く変わらず三成は主君に忠実であるが、としては初めて話した時のような彼の態度が恋しいと思うこともある。
 姫君になんて口の利き方を!と慌てふためいた佐吉はもしかしたら今も三成の中にいるのかもしれない。しかし彼はそれを良しとしないだろう。できることなら引きずりだしてみたい。

「今の三成にお前、なんて言われてみたいものだわ」

 くすくす笑うがそう言うなり三成は恥ずかしいやらくすぐったいやらで、彼女に送った花のように顔を桃色にさせた。