仲間が3人死に、ダルツォルネが死んでもボスはいつもと変わらぬ様子だった。
はどう思っているのか分からないが、ボスといつも通り談笑を続けている。類は友を呼ぶとはこういうことなのだろうか、ボスの「お友達」だから当然の反応なのかもしれない。
友達と言ってもボスは彼女を「」と呼び、彼女はボスを「お嬢様」と呼ぶ。果たしてそこに友情が存在するのかどうかについては誰も詮索しない。
ボスから呼び出された時にだけは何処からかふらりとやって来る。時々聞こえるピアノの音色は彼女が奏でているものだ。ボスは大層それを気に入っているらしい。
「ねぇ、パパが帰って来たら一緒に買い物行こうね」
「はい、喜んで」
「やったぁ!じゃあ今日は寝るまで七並べやろうよ」
ボスはの手を引いてホテルの一室へ消えた。
ヨークシン全体のマフィアが殺気立つ中、実に呑気なものだ。ボスは言わずもがなのことだが、にも危機感というものはないのだろうか。
そんな私の心音を聞き取ったのか、隣にいたセンリツが小さく呟いた。
「他人に理解されないようなタイプの変わり者は芸術家に多いでしょう?」
「否定はしないが、あれではボスと同類かもしれないな」
聞こえるわよ、と注意された直後に部屋の中へ消えるが一瞬だけこちらを見て、薄っすらと笑った。
それから数日経っても彼女は珍しくまだ居残っていた。ボスが引きとめているのだろうが、今回のような長期間の滞在は珍しい。ノストラード氏からは何も彼女のことを聞かされていないので、当面関わることはないと思っていた。
夜のホテルのレストランに訪れると、時間帯のせいもあってか客は殆どいなかった。
仕事の話をしているらしいビジネスマン風の男の二人組、若い男女のカップルが一組、新聞を読みながらコーヒーを飲む男が一人、そして食事をしている女が一人。グランドピアノに一番近い席に座っているその女はだった。
私に気が付いたのか、は笑みを浮かべて手招きをしている。生憎私は一人。センリツに休んで来いと言われて食事に来た結果がこれだ。
「こんばんは。お仕事お疲れ様です」
「……ああ」
「夕食、一緒にいかがですか?」
は自分の前の席を手で指した。気が乗らない。だが断る理由もない。何も言わずにいると、どうぞと促され、結局そうせざるを得なくなってしまった。
私をの連れだと思ったのか、つかつかと歩いてきたウェイターは注文を取り、彼女のグラスに液体を注いでこの場を離れた。
この手の人間は苦手だ。ヒソカと違うタイプではあるが、何を考えているのか分からない人間。彼とは違い邪念がないようだから尚更性質が悪い。
「ダルツォルネさんのこと聞きました」
「そうか」
「貴方は仲間想いなんですね」
「殉職した仲間を悼むのは当然のことではないか?」
「そうですね。でもこの世界で貴方みたいな人は見たことがなかったので」
この世界とは裏社会のことだろう。ダルツォルネに向けてのものなのか私に向けてのものなのかは分からないが、哀れんだ表情をしている。
ボスと同類かと思えばそうでもない。ただし全く違うというわけでもない。ただのピアニストならまだしも、ノストラードファミリーに関わっている人間が普通であるわけがないのだ。
がグラスを傾けると中の氷がカラカラと鳴った。そして今初めて気がついた。
彼女はずっと手袋をしたままだ。見慣れていたはずだがこの風景には似合わない。グラスを置いてそのまま器用にナイフとフォークを使っている。
「それはピアニストとしての手入れの一つか?」
「はい。夏は暑いから特に大変です。でもそうしなければ将来お嬢様にお渡しできないので」
「渡す?一体何をだ?」
「私の手ですよ」
タイミング良くウェイターが私の分の料理を運んできたので、彼が立ち去るまでお互いに何か言うわけでもなく、ただ時間が流れるのを待っていた。
今更ボスの趣味嗜好に驚いたりどうこう言うつもりはないが、今生きている人間とそういう約束をしているとは考えもしなかった。だが彼女ならあり得る。約束と言うより、これは契約なのだろう。
の表情は変わらない。恐らく心音もいつも通りのはずだ。
以前ダルツォルネから聞いた話は、彼女はボスの望みに迅速に応えるボス専属のピアニストということだけだ。ボスの父親であるノストラード氏のコネだろうとも言っていたが、どこまで本当なのかダルツォルネ本人も把握していなかったように思える。
私が手を凝視していたせいか、はナイフとフォークを置いて手袋をするりと外した。
普段外出する時も絶対に外したりしないのだろう、手袋の下は日焼けしていない。そして傷一つない真っ白な美しい手だった。
「指だけ渡してもバラバラで迷惑でしょうからね。私が死んだら手首あたりから上はお譲様の物になるんです」
「薬品漬けにして、か」
「はい、観賞用ですからね。人体収集家の中には音楽家の身体の一部を集める人もいますから、彼らに先を越されたくないそうですよ」
蓼食う虫もなんとやら。反吐が出る話だ。
音楽家ならば手、女優なら毛髪、希少民族ならば、クルタ族ならば……
「クラピカさん?」
を呼ばれて思わず掌を固く握りしめた。コンタクトをつけているとは言え、この距離で悟られたくない。に違和感を持たれる前に少しだけ目を伏せた。視界の端に白い手が捉え、それがぼんやり光っているように見えた。
この世界に浸る人間は最初からどこかが常人と違う。恐らくそれが、私がに感じたボスとの違いなのだろう。あくまでも私の推測でしかないが、彼女が最初からこの世界の人間だったとは考えにくい。
どんなに仲良く振る舞っていようがの手はいつかはボスの物になり、きっとボスはの他の部位に興味も示さないことだろう。
手がボスへ行き渡ると、棺に納められるは死者らしく胸の上で手を組むこともできない。彼女の最期が棺に納められるようなものであればの話だが。
「せっかくノストラード様とお嬢様のお目に留めていただいたのですから、生きている間は手を守らないと」
「まるで自分の死期を分かっているような言い方だな」
「今のところ死ぬ予定はありませんが、毎月お嬢様に占っていただいているので大丈夫ですよ。やりたいことがまだ沢山残ってますからまだ死にませんけどね」
「占いの見返りが君の手ということか」
「さぁ、どうでしょう」
これ以上話すつもりはないと言わんばかりには含み笑いをしている。昼間に変人と思ったことは間違いではなかったようだ。
「うちの組の者は誰も君について詳しく知らないようだな」
「元リーダーが知らないんじゃそうでしょうね。聞かれたら大体のことは答えますけどね」
「何故そんなことを私に言うんだ?」
「さあ……こういう世界で貴方のような人に初めて会ったからかもしれません」
斜に構えた受け取り方をすれば、ハンター歴の浅い素人という意味で理解できる。
嫌味か皮肉か、はたまた純粋な気持ちかどれでもいいが、そこに裏などないと思いたいものだ。
仕事を仕事と割り切っているダルツォルネだったからボスと表面上は上手く接することができたのだろうが、ボスとは違うとはそうはいかなかったのだろう。第一、彼がに対する態度をボスに接する時のそれと同じにする必要はない。
がダルツォルネ以外の仲間と滅多に話さないのも恐らく同じことなのだろう。結局彼女は誰にも心を開いていないのだ。ボスにさえも、きっと。
「数年、もしくはもっと近いうちに貴方も変わってしまうでしょうね。そういう世界ですから」
「確かに否定はできないな」
「そうなる前にお話ししてみたかったんです。本当は今、一人になりたかったでしょ?ごめんなさいね」
「気が変わったから気にすることはない。そう思わせてしまったなら、こちらこそ失礼した」
どこにでもいるような女の雰囲気。これが本来のならば、死後自分の手を差し出すと心得た上でこうして食事をしていられるのは一体どういう神経をしているのだろうか。
そうとは思わず死んでいった同胞達とは真逆の存在だ。
失う物の価値は同じだとしても死ぬ前と後では大きく異なる。何も知らないうちに死ぬ方が良いとは言えないが、知りながら生きていることは他人の私からすれば苦痛でしかない。
占いのおかげで自分の死を予測できたとしても、ある月に死を迎えると知った時にが絶望することはない気がした。
「聞かれたら大体のことは答えると言ったが、私の質問にも答えるつもりはあるのか?」
「質問の内容によっては濁しますが、それでも良ければ」
ナイフとフォークの動きを止めると、それに倣っても食事の手を止めた。
このテーブルの全ての時間が止まったように感じるのは、彼女が瞬き一つしないで私の質問を待っているせいかもしれない。
「ボスに手をやるのは君の意思か?」
「そうですよ」
「目的、もしくは望みがあってのことか?」
は何も反応しなかった。肯定と取るべきなのかもしれないが、それにしては随分と落ち着いている。
センリツならば今の彼女の心音を聞くことが出来るのだろう。私に対する呆れの音か、図星である焦りの音か、あるいはいつもと全く変わらないか。
何かを秘めたようなこんな笑み以外の顔、例えばこういう表情が崩れる時とはどんな時なのか、想像しようとしてもなかなか思い浮かばなかった。
「質問って一つじゃなかったんですね」
「一つだけとは言ってないからな」
「それもそうでしたね。でも最後の質問は、そっくりそのまま貴方にお返しします」
つい先ほどセンリツとも似たような会話をした。
辿り着いた過程はどうあれ、ここへ集まる人間は同類でしかない。
センリツも私もそうであり、もしかすると他の仲間達も。を見て、実際に話してみて、彼女の手を見てそう感じた。
「貴方が答えられないなら、私も教えてあげない」
くすくす笑っては自分の指と指を絡めた。
人体収集の何たるかを理解するつもりはないが、こうして見れば確かに彼女の手は美しい彫刻のようだ。
だがそれは生きているの一部であるからそう見えるのだ。切り落とされた手など生気も何も感じないだろうに、人体収集家という輩はそういうところに魅力を感じるのだろう。
私には手袋をつけているの方が死んでいるように見える。
「そうだな。それならばいつか答えよう」
「いつかっていつ?」
「さあ。気が遠くなるほど先のことかもしれないな」
「ふふ、死ねない理由がまた増えてしまいました」
彼女の小さな笑い声も不思議と不快なものではない。笑えるような内容ではないはずだが彼女につられて少しだけ頬が緩んでしまった。
周りでは相変わらず少ない客の談笑や食器の音が鳴り、ありふれた音楽が流れている。
通りがかったウェイターを捕まえたはピアノは調律してあるかと聞いた。それから彼の手にチップを握らせ、あっという間に彼らの間で交渉は成立された。
「食事中につまらない話をしてしまったお詫びをさせて下さい」
「プロが金も取らずに軽々しく聴かせていいものなのか?」
「演奏会と違って服は地味だし化粧も殆どしていないし、誰も私に気が付きませんよ。それに今の気分なら舞台の上よりもずっといい演奏ができそうです」
客の少ないこの空間の方が緊張しないで弾くことができる、という意味合いではない。
手袋を重ねてテーブルの隅に置くとは席を立った。ピアノへ向かう足取りは軽い。
きっとボスの前以外ではあの手袋は外さないのだろうが、いつの日かボスの手に渡る時が来たら手袋は何処かへ消えてしまうのだろう。
悪趣味な収集家が「音楽家が肌身離さずつけた手袋」などと称して手に入れるかもしれないし、ボス自身がの手とセットとして貰い受けるのかもしれない。
その手袋が今このテーブルの上にある。これがの全てを隠しているように思えてならなかった。
ならば今の素の姿は多少なりとも何かを伝えようとしているのかもしれないが、彼女にとっても私にとってもそれぞれが何を望むのか、今は知らない方がお互いの身のためだ。
先程の明るくない話題から一転してピアノの音はとても穏やかだ。近くで鍵盤を弾く彼女の白い手が跳ねたり泳いだりして滑らかに動く。
今この瞬間だけは生きているのだ。まるで別の生き物のように。