言う葉は異なれど



 城から一歩出た先の庶民の暮らしはいつ見ても新鮮だ。庶民という意味合いはが元いた時代の庶民とは異なる気がするが、この国は国主も庶民もいつだって生き生きとしている。
 お供を連れてではあるが特殊な身分のにも外出の許可が下りている。縛り付けるような国主ではないからありがたいと思う。
 一通り城下を満喫した帰り道、その日見た町の娘達が騒いでいたことを思い出した。
 あれは確か甘味屋の近くだったはず。どこの誰が素敵だとか故郷の幼馴染を想っているだとか、年頃の娘特有の華やかな話題に思わず耳を傾けてしまった。
 娘達の集団の中の一人が想い人に文を送ろうとしていると発言してからその場は一気に熱くなった。話の盛り上がり方からして身分違いか高嶺の花か、なんて想像をしてしまう。
 やはりいつでも女子という生き物は恋の話に花を咲かせるのだなと、は団子を頬張りながらそれを傍から眺めていた。

「この時代の人の恋愛ってすごく情熱的ですよね」
「情熱的?」

 土産の団子を元親に届け城下での出来事を話す。政務中なら遠慮しようかと声をかければ気にするなと笑顔で言われたので、結局いつものように雑談に熱中してしまうのだ。
 いつも機巧作りに熱心な元親は今日は珍しく事務作業に追われ、文や書物が畳の上に散乱している。
 政務が終わるのはいつになることやら、と苦笑しては散らばった物を集めた。

「現代も戦国時代も女は肉食系なのかな……」
「肉食?」
「ううん、なんでもないです」

 昼間の娘達が話していた恋愛は、テレビや小説で見たよくある恋愛ではない。
 叶わない恋や望まない婚姻などがあるこの時代の中で自由に恋愛できる人など限られているだろうし、例え叶ったとしてもその時間は短いのかもしれない。
 それを分かっているからこそ皆情熱的になれるのだろう。根本的な考え方が現代人とは違う。

「恋文を書いても距離によっては届くのに何日もかかるだろうし、返事は更に時間がかかるだろうし」
のいたところは書かないのか?」
「うーんと、手紙よりももっと早く届くと言うか……」

 日本だけではなく世界各地にメールを送るのは簡単だし、声が聞きたいと思えば電話で遠くの人と話すことができる。それが当たり前の世界で生きていたわけだから今までちっともありがたみを感じなかった。
 自分が普段使っていたものについて上手く伝えられる自信はなかったが、それでも便利なものであるということは伝わったようで、元親は目を輝かせ興味津々と言った顔で読んでいた文から目を離した。

「私が使ってたそういうのと違って、直接会った時とか手紙のやり取りとかすごく楽しいんだろうなぁと思います」
「楽しいかどうかは分からねぇけど、時間がかかる分の期待はでかくなるよな」
「ですよね。だから直接会った時とか手紙とかに情熱を込めるのかな」

 携帯やパソコンなどの便利なツールがない分、連絡を取るにはそういった手段に限られる。ここで生活していくうちに手紙を書く人達を羨ましいと思うようになった。
 もしも手紙を書くなら誰に送ろうか。どれくらい時間がかかるだろうか。はここで暮らして親しくなった人達を思い浮かべた。
 とは言ってもの知人や顔見知りはこの城と城下の一部に限られる。あとは海を隔てた向こう側にもいるが、気軽に声をかけられる相手ではないので一応今は省くことにする。
 この時代の手紙とはどんなものかと思い、元親が読み終わったらしい文を覗き込んだ。墨の匂いと縦書きの繋がったような字。その文字を見るたびに自分が今まで使っていた日本語とは全く別の言葉のように感じてしまう。
 物珍しそうに文を眺めるを見て元親はある考えが浮かび、何気なくそれを口に出してみた。

「俺がお前に文を書いてやろうか」
「え?別にいいです」
「んなっ、即答かよ!」
「だって同じ城にいるなら意味ないじゃないですか」
「それはそうかもしれねぇけどよ、ある意味新鮮だろ?」
「新鮮……そうですね、確かに。でも手紙は毛利様くらい距離が離れてる方がいいんじゃないかなぁ」

 思い浮かべた知人から省いた毛利元就はどころか一般人が気軽に声をかけられるような人間ではない。
 その点では元親も同じなのだが、二人の性格や気質、国主としての在り方が違うせいか彼の前ではどうも気を緩めてしまう。
 しかし当の本人は思わぬ人物の名前を聞いて思い切り眉根を寄せた。

「なんでそこでアイツの名前が出てくる!?」
「え?手紙を送るのにちょうどいい距離かなぁと思って」
「いやいやその発想はおかしいだろ!」
「そうですか?あー、でも毛利様は私に返事書いてくれそうにないですよね」

 毛利元就を候補から省いた理由はいくつもあるが、元親に対する後付けの理由で一番大きいのはそれだった。
 手紙を書くなら返事をくれる人がいい。しかし毛利元就という男はその可能性が一番低い。何度か会ったことはあるが毛利の性格を考えればそれは当然だ。
 特別冷たく当たられたとは思わないが、踏み越えてはいけない領域を侵せば躊躇うことなく態度を一変させるだろう。そんな人間相手に手紙を送るなど恐ろしくてできるはずがない。
 そう考えると毛利に手紙を送る前提の話はなんだか馬鹿らしくては自嘲した。

「読んでもらった後に破り捨てられそう」

 毛利ならば何か裏があると疑って手紙を不審に思うかもしれない。
 ほんの数回しか顔を合わせていないあの二人だが、の言う通り毛利が個人的に返事を寄越すとは思えない。
 しかし元親の考えは逆だ。
 確実にそうだと言えないのは、毛利がいい機会だとばかりにを自分の掌中に収めようとする気がしたからだ。表面上は興味のないふりをして頭の中ではそういうことを考えていてもおかしくはない。あれはそういう男であると元親自身が身を以て理解しているのだ。
 もしもそんなことになってしまったならば。
 血眼になってを探しに行く心意気はあるが、それは元親の個人的な意思だ。一国の主として一人の少女を取り戻しに行くというのはいかがなものだろうか。
 それにそんな状況に陥った場合、がどちらにつくのか彼女のこの様子では何とも言えない。そこまで毛利に思い入れがあるのかと元親の良くない想像はどんどん深みにはまって行く。

「そもそも私、この時代の字が読めない……」

 元親が不穏なことばかり考えているとも知らず、は散らばった文をずっと眺めていた。
 字が読めないことは盲点だった。床に広げた文をいくつも手に取り凝視してみたがやっぱり読めなかった。筆で綴られる字に馴染みがないせいでこれを書いた人の字が上手いのか下手なのかも分からない。
 それに自身、筆で字を書くことに慣れていない。手紙を書くどころか字を書く練習から始めないといけない気がした。
 字を教えてもらうことがまず第一だと思って元親に頼もうとすると、むすっとした顔の彼がを見下ろしていた。

「俺の文は要らなくてアイツのだったらいいのかよ」

 アイツ?とは首を傾げた。何のことかと思ったが、すぐにそれがさっきまでの会話のことだと気がついた。としてはもう終わった話だと思っていたが元親の中ではまだ完結していないらしい。
 いつも堂々としていて男らしい元親が珍しく拗ねている。
 それが子どもっぽくて、けれど幼稚なものではなくて不覚にも可愛いと考えてしまった。海賊であり、鬼であり、その上国主でもある男に対してだ。
 心の広いこの人でもこんな表情をするのかと思うと、少しだけ自分が小悪魔になったような気分になった。もちろんにそんなつもりはなかったのだが。
 今ならあの町娘達の会話に加われそうな気がする。思わず頬が緩んでしまいそうになるのを必死に抑えた。

「私達毎日会ってるんだからそれで十分じゃないですか」
「そういう問題じゃねぇだろ」
「どういう問題ですか……じゃあ私に字の書き方教えて下さい。そしたら最初に元親さんに手紙書きますから」

 ね?とお願いの意味を込めて押すと、元親は肯定とも否定とも取れないような唸り声を上げて頭を抱えた。
 何故そこで悩むのか心当たりは例の彼しかないのだが、果たして元親の悩みの種はそれで合っているのだろうか。

「字が書けるようになったからと言って毛利様に手紙は出しませんよ。何書けばいいか分からないから……」

 元気ですか、というのはまだいい。この前美味しい団子を食べましたとか、元親さんは毎日元気ですとか、自分が手紙を書いたら日記のようになってしまいそうだ。
 かと言って毛利にあれこれ訊ねると詮索していると思われそうで何も質問できない。本人が答えてくれるかどうかは別として、やはり毛利に何か聞きたいなら本人に直接会う時しかなさそうだ。
 本音を言ったにも関わらず、今度の元親は黙ってしまった。納得いかないような、まだ思うところがあるような複雑な顔。何か納得させられるようなことはないかと考えていると、ある一節が浮かんだ。

「あ、そうだ。便りのない方が身近に感じられる、手紙は距離を感じさせるだけ、って詩があるんですよ」
「それはお前のいたところの歌か?」
「歌……なのかな、うん。多分……」

 正直なところ歌と詩の違いが分からない。文化人と言うほど詩や短歌に精通していないが、そう聞かれるとそうであるような気がした。まさかこんな時代のこんな状況で、学校の図書館で読んだ詩集の一節の意味を考える日が来るとは思わなかった。
 もしも元親が戦で国を離れた時に彼がに文を送ってくれたとしてら、きっと嬉しいとは感じるだろう。彼に返事を書こうと思うはずだ。
 けれど読み終わった後に寂しさが押し寄せてくることは間違いない。
 返事を待っている間、元親が無事でいるかどうかなんてには確かめようもないのだ。手紙に書かないだけで本当は不調かもしれないし危険な状態かもしれない。
 それなら手紙を寄越すより早く帰って来て欲しい。
 元親の笑う顔を見るだけで、どんなに情熱的な手紙よりもの胸に優しい感情を運んでくれるに違いない。
 彼の顔を凝視しているとたじろぎながら「なんだよ」と言われた。今のような不機嫌な元親も嫌いではないが、やはりいつものように笑っている方が好きなのだ。

「……うーん、やっぱり手紙はいいかな。止めておきます」
「毛利のことを言ってんのか?」
「違いますよ!いい加減、毛利様から離れて下さいよ」

 どうしてこうも伝わらないのだろうかと今度はがむくれる番だった。毛利の名前を口にした自分が悪いのかとさえ思えてくる。けれど考えていたことを暴露するには恥ずかしすぎる。

「……元親さんの方がよっぽど毛利様の話をしたがってるように聞こえます」
「気色悪いこと言うんじゃねぇよ。お前が言い出したことだろ」
「だから、手紙は書きませんってば!」
「その割にやけにムキになるじゃねぇか」

 珍しく強く言い返して来るが面白いのか、にやりと笑った元親は自分の発言を棚に上げて小学生のような言葉を放つ。
 先程可愛いと思ったのが間違いだったと思えるくらいむかむかとした感情がこみ上げてきた。可愛さ余って憎さ百倍だ。可愛いどころではない。その憎たらしい顔をつねってやりたい。
 何を言っても煽るような言葉が返ってきそうで返す言葉が見つからず、結局は元親から顔を逸らしてぽつりと呟いた。

「元親さんとは直接話をしていた方が楽しいと思うから手紙はいいって思ったのに……」

 拗ねた子どもであるのはも同じだった。元々口が上手くないから言い争いは得意ではないのだ。
 今はただ元親の憎たらしい笑みを視界に入れたくない。しかしそっぽを向いたせいで、元親がこの上ない満面の、そして少し照れ臭そうな笑みを浮かべていることに気がつかなかった。