ある日の戦で怪我を負ったは戦が終わって撤収する途中で落馬した。更に怪我が増えたのは言うまでもないが、幸いなことに駆け寄って来た高虎が手を貸してくれた。
 口で厳しく責めながらもの腕の手当てをしてくれる。実のところ怪我の痛みよりも耳から入ってくる高虎の叱咤の方が何倍も痛かった。ついでに言うと彼の顔は普段より何十倍も怖かった。今までも何かと世話を焼かれたことはあるが、今回のように戦場での失態を責められたのは初めてである。
 それからしばらく日が経ち、お礼を兼ねて粗品を手渡しに行った。感謝の気持ちを込めたのだが高虎にそれを払いのけられてしまった。

「要らん」
「ですが、高虎様には何度も助けていただきました。せめてお礼をさせてはくれませんか」

 こうして高虎の屋敷に赴いたはいいが、こんなやり取りがしばらく続いている。形だけでも受け取るのが筋ではないかとも思ったが、それよりも冷たく突っぱねられることの方が悲しい。
 断られるのはこれが初めてではない。いつも何かと理由をつけられては礼は要らないと言われ、その後どうしてか食事を勧められ、結局馳走になって帰宅する、というのが一連の流れだった。
 高虎からもらった手拭いも数えきれないほどになっている。繋ぎ合わせたら小袖が一枚できるのではないかと思ったほどだ。
 今日だけは断られても承知してもらうまで絶対に譲らないと決めていた。二言目には「いいから持っておけ」と半ば押し付けられるように新たな手拭いを渡されると思っていたので、それに対する返答もしっかり用意してきた。
 しかし予想に反して高虎は珍しく熟考している。これは受け取ってもらえるかも、と期待に胸を膨らませただったが、それにもまた予想外な答えが帰って来た。

「……それなら考えておく」
「え?」
「礼とするというのは当人を喜ばせるためのものだろう。お前は俺が喜ぶことが分かるのか?」
「そう思って大量の餅と手拭いを用意したのですが」
「喜びとは物を与えることが全てではない。その思考を改めろ」

 一刀両断された。すみません、と謝罪の言葉が勝手に口からこぼれる。注意する時の高虎の言葉は刺々しいが、大抵の場合は理にかなっていることが多いのでまともな反論をしたことがない。
 餅が好きと聞いたはずなんだけどな、と思いつつもは自分の不手際を反省した。

「ところで怪我の具合はどうだ?」
「おかげ様で、ようやく刀を握れるまで回復しました」

 怪我をした方の手を握ったり開いたりして見せる。療養という名目でしばらく自邸に籠りきりだったが、その際にも高虎は何度かを訪ねてくれた。
 幸いなことにその時の小言は最小限であり、どちらかと言えば気遣う言葉が多かったように思う。いつもこうだったらいいのにと思ったのはもちろん秘密である。

「見舞いの品をありがとうございました。いつも受け取ってばかりで申し訳ありません」
「気にするな。俺がお前の顔を見たかったから赴いたまでだ」

 の目がほんの少しだけ見開かれた。高虎の物言いが先程と打って変わって優しくなった気がする。気のせいで済ませられたら良かったが、今日ばかりは高虎の様子がおかしいという確信がある。

「そういやお前の親父殿は常々戦場で傷を作るなと言っていたな」
「そう、です。よくご存じで」
「よく愚痴に付き合わされた」
「……それは、申し訳ありません」

 今は亡き父に代わり、と言うわけではないが何故かすんなりそんな言葉が出た。家の者にそんな愚痴をこぼすならともかく、何故よりによって高虎にそんなことを言ったのか。
 珍しく高虎は懐かしむように目を細めている。父は彼と懇意にしていた。もその延長で高虎との交流は続けている。生前の父と一体どんな話をしていたのかは知らないが、父はいつも彼のことを褒めていた。

「いい父親だったな。いつも娘や家臣のことを気にかけていた」
「そうでしたか……ありがとうございます。何かおかしなことを言っていませんでしたか?」
「あんたのことに関しては、そうだな、せめて嫁がせる時まで傷は作らせまいと奮起していたな」
「そんなことまで話していたのですか……」
「血の気の多い娘だから心配で仕方がないとも言っていた」

 じわじわと顔が火照ってきたが高虎はお構いなしに昔話をする。しかもその大半が親馬鹿とも言えるの成長録のような内容ばかり。中には本人が初めて聞く話もあった。
 恥ずかしすぎる。父のことは尊敬していたがこればかりは恨んでもいいはずだ。しかもよりによって高虎に教えるなんて、これでは自分がじゃじゃ馬のようではないか。顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
 覚えていることを全て話したのか高虎は小さく息を吐いた。やっと終わってくれたとが安心した矢先に高虎は珍しく重たげに口を開いた。

「なぁ、あんたは親父殿から何も聞いてないのか」
「え?何をですか?」

 途端に真剣な眼差しを向けられる。まだ他にも父が語った自分の恥ずかしい思い出話を隠し持っているのではないかと心配になった。しかしそんなの邪推は翻された。
 高虎は何かの答えを求めているのだろうが、何を望んでいるのか分からない。きょとんとしたに面食らった高虎は珍しく返答に困っているようだった。

「……そういやあの人が亡くなったのは突然のことだったから仕方がないか」
「父が何か?」
「いや、まるで上杉のようだと思ってな」

 少し寂しそうに笑ったのは上杉に対してではなくの父に対するものだった。
 上杉謙信が遺言を遺さずして逝去してから家督争いが起こってしまったことをの父に準えたのだ。高虎の説明を聞いてはますます分からなくなる。

「うちではあのような争いは起きていませんが」
「そういう意味ではない。肝心なことを伝える前に死んでしまった、ということだ」
「肝心なこと?」
「俺は親父殿にお前を貰い受けたいと願い出た」

 耳を疑った。動揺がの体を硬ばらせる。何故、という思いと、そんなことは聞いたことがない、という疑問。
 いつも真っ直ぐを見る高虎はこの時ばかりはそうしなかった。過去に思いを馳せているようにも見えるが、実のところは分からない。その願いを申し出た日のことを思い出しているのかもしれない。

「だがあの人はお前に伝える前に死んでしまった」

 悲しそうに目を伏せる表情に思わず見惚れそうになった。不意打ちとも言える発言に相まってほだされかけているのかもしれない。なんとなく真っ直ぐ見ることができなくなって俯いてしまった。
 普段高虎は殆ど表情を崩さないし、がよく見る姿と言えば戦での果敢に挑む姿や誰かのために叱る姿などだ。その「誰か」には高確率で自分も含まれていると思うが、彼の性分を考えるとそれが無関係とは思えない。
 少しずつ心臓の鼓動が高鳴って来ているのだが、はできるだけ平静を装って尋ねた。

「それで、父は何と言っていましたか?」
「娘に聞いてみる、と」

 道理でが知らないわけだ。父からこの話を聞いていればこんなに動揺する必要もなかっただろうに。出先でその話を聞いていたのなら文を寄越すことだってできたはずだ。
 の父が亡くなったのは高虎を訪れた帰り道のことだった。発作で倒れ、自邸へ戻る前に息を引き取った。
 かねてから病を得た父は隠居したものの、寝たきりでは体に悪いと積極的に外に出て行くような人だった。や家臣の悩みの種ではあったが、病人の気持ちを理解しろと言われてしまっては強気に出られなくなってしまったのだ。
 今となっては父を責めることはできないし今更何を父に訊ねたらいいのかさえ分からない。父はその話を聞いてどう思ったのだろう。高虎と話している時の父の笑顔が朧げに浮かび上がった。

「だから、お前の考えを聞きたい」

 普段の氷のような視線ではなく、自分を捕らえて離さない熱を帯びた眼差しを向けているのだと俯いていても分かる。これ以上平然を装うのはもう無理だった。
 父が亡くなってから結構時間が経っている。今まで打ち明けなかったのは高虎なりに気遣ってくれたからなのだろう。生前の父とについて話していたことを本人には言いづらかったということもあるに違いない。
 いかにも人間らしい高虎の躊躇いがを悩ませた。何でもかんでもバッサリ斬るような発言をする人だと思っていたので、人並みに悩み気遣う様子に戸惑いを隠せなかった。
 一体今自分はどんな顔をして高虎を見ているのか気が気じゃない。しかしそんなことを気にしている場合ではないのだ。真摯な言葉に返事をするにはまだいくつか分からないことがあった。

「その前に、一つお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ」
「先ほど高虎様は私からの礼の品を考えておくと言いました。貰い受けたいと父に申し出ていたのなら、それを理由にすることもできたのではないでしょうか?」
「ほう、あんたは俺がそんなことをするような男だと思っているということか」
「いや、その、そうではなくて……私が高虎様の立場だったらそうするかもしれないな、と」

 居心地が悪くなって高虎から目を逸らした。性格の悪い女だと思われたかもしれない。今更都合が悪くなることはないのだが言ってしまってから後悔した。
 短い沈黙がとてつもなく長く感じられた。せっかくの申し出になんて失礼なことを言ってしまったのだろう。謝罪するにもあまりにも空気が重くて口を開けたものではない。その重い沈黙を破ったのは高虎だった。

「……確かに一理ある」

 再び耳を疑った。そんなことはないと否定しようと高虎を見れば、彼は己の心を隠すかのように手で口元を覆っていた。若干気まずそうに見える。

「実は考えたことがないわけではない。だがそれは早々に取り消した」
「それでは、何故……」
「戦じゃあるまいし、汚いやり方や回りくどいやり方は避けたい。例え礼の形だとしても、俺はそういう形で好いた女を手に入れたくはないからな」

 何ですって、なんて言葉がうっかり出そうになったのは、高虎の発言とは裏腹に彼の表情がいつもの仏頂面にも似た真顔だったからである。
 照れた表情の一つでも見せろと言うつもりはないが、いつも通り過ぎてどう反応したらいいのか分からないのだ。本来なら頬でも染めそうな状況であるだろうに、雰囲気も何もあったものではない。主君に策を申し上げる口調と殆ど違いがないのでは呆気に取られてしまった。これではまるで軍議だ。

「……おい、その馬鹿っぽい顔を止めろ」
「え?ええ?すみません……?」
「雰囲気を壊すな。全く、気が抜ける」

 途端に高虎の険しい顔がもっと険しくなったが、やれやれと呆れたようにため息を吐いた。思わず、雰囲気を壊しているのはどちらなの、と言いたくなった。理不尽過ぎる。