いつもより少しフォーマルな格好と新鮮な気持ちでいつものレストランへ行くと、甘い香りがふわっと漂っていた。いつものことだけれど、お店のお客さんのほとんどが女の子だ。彼女達の目的も私と同じなんだと思うと少し複雑な気持ちになる。
ウエイトレスさんに案内されて隅のテーブル席に座った。メニューを読みながら何にしようか考えている間も、つい周りを見てしまう。
私は普段一人で来ることが多いし、他にもおひとり様のお客さんは多い店だ……今日を除いて。
これは、今日は無理じゃないか。いつもより数倍混んでいるし会えないような気がする。向かい側の椅子の上に置いたかなり大きな紙袋をどうするべきか悩む。店員さんに渡してもらおうかと思ったが、この忙しい時に迷惑でしかないだろう。
「ご注文はお決まりですか?」
「えーと、カフェオレとハーデリア風ガトーショコラ一つ。クリーム多めでお願いできますか?」
「はい、かしこまりました」
注文を取るのと同時にウエイトレスさんはレモン入りの水を置いていってくれた。いつも気にすることなく飲んでいたけれど、きっとこれはコーンが提案したに違いない。
本でも持って来れば良かったかなと思うのは嫌でも周りの声が耳に届いてしまうから。女子力の高い会話が途切れることはなく、新作の化粧品やライモンのお店の話、たまによく分からない単語(恐らく服の名前)が聞こえてくる。普段草むらをかき分けて進んだり荒れた山を登ったりする私とは縁遠い。
私も女友達を連れてくれば良かったかなぁと周りの女の子達を見て少し居たたまれなくなる。冷たい水を飲みながら外を見れば、さっきまで降っていなかった雪がはらはらと降り始めていた。
「お待たせいたしました。カフェオレとハーデリア風ガトーショコラ、それからヤナップからの贈り物でございます」
窓越しに目が合った。最後の一言には覚えがない、と思って振り返ると笑顔のデント、それからその足元にいるヤナップ。手に持った小さな袋を私の方へ差し出した。
「私に?ありがとう」
「ヤナップの葉っぱをブレンドした新作の茶葉です」
頭を撫でるとヤナップは気持ちよさそうに目を閉じた。そうか、この部分が茶葉に……なんて考えていると、目の前に真っ赤な薔薇の花が一輪現れた。
「知ってますか、違う地方ではチョコではなく花を贈るんだよ」
ガトーショコラを運んできたデントは他のお客さんに見つかることなく、さりげない動作で薔薇を渡した。お礼を言うより先に私の口から出て来た言葉が「よく見つからなかったね」だったのはすぐに後悔した。
花の色に合わせてリボンも赤だ。そういえば男性が女性に花を渡すという文化は聞いたことがある。
「外国式のバレンタインなら、チョコは要らない?」
「勿論ありがたくいただきます」
「ごめん、嘘吐いた……チョコは沢山貰ってると思って、フルーツ盛り合わせ」
反対側の席を指さすとデントもそちらを見る。失礼、と言って袋の中を見てぱぁっと笑顔になった。
その反応がとても嬉しい。何故ならこれは普段自分用には絶対買わない超高級フルーツだから。兄弟3人で食べてもらおうと思って買ってきたのだ。お店のケーキやパフェなんかにも使えそうだが、そういう物はお店側が選んで買った方がいいだろう。
「本当はジョウトの漬物にしようかと思ったんだけどさ」
「それはそれで美味しそうですね」
「え、嫌じゃない?」
「食べたことないですから興味はあります」
「じゃあ今度持ってくるね」
ビストロサンヨウの料理とは全く違うものだと思うけれど、デントは分かっているのだろうか。キキョウ漬けを食べたら3人はどうなるんだろう。楽しみだからそれがどういう物か言わないでおこう。
手際よくデントがテーブルに注文した物を並べてくれた。いつもクリーム多めで注文するのだが、今日は更にサービスしてくれたようでバニラアイスが乗っている。おまけにいつもは無いチョコソースで「ハッピーバレンタイン」の文字が書かれていた。
「今日は一段とすごいね。ありがとう」
「どういたしまして。そうだ、これ持って行ってもいい?冷やしておきたいんだ」
「うん……あのさ、袋の内側、見てくれる?」
言われるがままデントは中身を見て、大きな紙袋の内側に貼りついた小さい紙袋を発見した。分かりやすい緑色の袋を見てそれが何なのかすぐに気づいてくれたようだった。けれども心底意外そうな顔をするのでむしろこっちが不安になってくる。
「僕に?」
「うん。チョコは無いって言ったけど、それはデント用に」
「そっか……うん、嬉しい、ありがとう。からチョコ貰うのは初めてだね」
「うん?そういえばそうだったね」
「僕ら兄弟3人は一括りなのかと思ってたよ」
「誰かに特別に渡してばれた時に不憫かなーと思って……ポッドとコーンには内緒にしてね」
「心がけるよ」
そんなことを言っているけれど、きっとデントなら隠し通すに違いない。あまり味は期待しないでねと釘を刺しておいたが笑ってかわされた。
デントが手のひらサイズの緑色の紙袋をあまりにもしげしげと眺めるので少し恥ずかしい。本当に大した物ではない。もしかするとデントの方が上手に作れるのかもしれない。まぁ、もし美味しくなくても高級フルーツがあるからいいかのかな……
「そうだ。せっかくだからこの果物、一緒に食べませんか?」
「え、いいよ。3人で食べて」
「チョコフォンデュパーティはどうですか?」
「う……いやでも」
「マシュマロもワッフルもありますよ」
今日のささやかなお礼です、と言ったデントは完璧なソムリエらしい振る舞いだった。お礼も何も、バレンタインはそういう日ではないはずだ。けれど魅力的な誘惑には勝てない。いいのかなぁ、と疑問を抱きつつもいつの間にかあっさり「喜んで」と受け入れてしまった。断る理由なんかどこにもない。