煌びやかな大阪城の一室で正座する茶々は姿勢も表情も崩れない。流石はお姫様だと感心したのは一刻ほど前くらいだろうか。茶々の向かい側に座るはまるで正反対の様子だった。
二人の間には絵巻物や反物、中には秀吉が取り寄せたた南蛮の品が広がっている。物珍しそうに眺めるとは対象に、茶々はきりりとした眉を時折ぴくりと動かす程度で特別驚くようなことはしなかった。ここでの暮らしが長いから見慣れているのかもしれない。
それよりも茶々が気になったのは目の前のの様子だ。先程まで色々な品を見てこれは何、あれは何と訊ねて来た。まだまだ見る品を沢山残しているのに急に静かになったが、茶々には心当たりがあった。
「、足が痺れたのなら崩して構いません」
「あ、はい……すみません。では失礼」
そう言われるなりは申し訳なさそうにしてからよいしょと足を崩した。側に控えていた侍女が信じられないと言うような目をしてを見たが、茶々は全く気にしなかった。
慣れたとは言え未だに他人の視線が痛く感じることが多い。無作法でみっともない、とその視線が言っていることに気が付かないほど鈍感ではないのだ。増してや姫の前でこんな格好は駄目だろうと分かっているが足が限界だった。
「見苦しくてすみません。もうちょっと練習しますね」
「練習?」
「正座の練習」
「……それは、練習するようなことでしょうか」
本当なら冗談ぽく笑ってほしかったのだが、茶々の気質のせいかそれは叶わなかった。侍女の手前、ふざけた発言もできない。
苦笑いして誤魔化すと、何と返せば良かったのかと省みる無言の茶々。少しの間、気まずい空気が流れたが、それを先に破ったのは茶々だった。
「ここでの生活は慣れましたか?」
「そうですね。来たばっかりの時よりは……でもやっぱり大変ですね。慣れないことの方が多いので」
「確かに、今でも貴方は苦戦しているように見えます」
「仰る通りで……」
正座は慣れないし、着物は一人で着付けられないし、一部の人間からの視線が冷たく感じる。それでもくよくよ悩む性格ではないから助かった。むしろ複雑な生い立ちの茶々の方が数倍苦労しているはずなのに、言葉の端々から感じられる気遣いが嬉しかった。
「私より茶々様の方が大変そう」
「どういう意味ですか?」
「だって私達くらいの歳だったら普通は友達とわいわいやってますから」
時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、もしも茶々が現代にいたとしても仲良くなれていたか自信がない。
例えるなら深窓の令嬢だろうか。周りにそんな友達はいなかったから、初対面の時に自分がどんな顔をしていたか後になってから不安になった。
茶々は茶々で今でもとの距離感が上手く掴めない。自分には似たような年頃の友達はいなかった。自分を気にかけてくれる少女はいたが、彼女のことを友達と言えるのか、そもそも友達とはどういう過程を踏めばなれるものなのか、その他諸々が分からない。
感情が表情に現れにくい茶々だが、本人の知らぬうちに口にそれが出てしまう。
「わいわい、とは」
「なんて言うのかな、お喋りしたり遊びに行ったり、色々」
「色々……他にはどんなことをするのですか?」
珍しく茶々が食いついてきたので内心おおっと驚く。そう言われて考えてみると、学校の友達とは本当にくだらないことばかり話していた。身分の高い姫にそんな話を聞かせていいのだろうか。笑いの沸点も何もかも違い過ぎる。と言うか、は茶々が笑う姿を殆ど見たことがない。
あまり下手なことは言えないような気がして、女子と言えばこれ、と思えることを探した結果、辿り着いたのは至極単純なものだった。
「うーん、恋バナとか?」
「こいばな?」
「恋の話。好きな人の話ですよ」
茶々の目が少し大きく見開かれた。いつもきりっとした目なので年相応の姿が垣間見えた気がした。しかしそれも本当に一瞬で、いつもの冷めた目に戻る。それからふぅ、とほんのり色づいた綺麗な唇から溜息を漏らした。
「私には縁がなさそうですね」
「えぇっ!あ、別に好きだと思わなくても、あの人が気になるとかかっこいいなぁとか」
「ありません」
「まじっすか……」
思わず素の口調が出てしまった。また侍女がにじろりと見たが、今回ばかりは気がつかなかった。
実のところ、名前までは教えてもらえなくてもいいから、茶々のそういう思い出があれば聞いてみたかった。しかし身分違いであるし、その上異端児である自分に教えてくれるわけがないだろうという諦めも僅かにあった。
この場合はどちらでもない。恋愛に興味がないのか、興味を持ってはいけない立場なのか、根本的に違う思考の問題とは言い切れない。
言わない方が良かったかな、と眉尻を下げたところ、茶々は首を傾げて何気なく訊ねた。
「には好きな人がいたの?」
「え!?私はそういうのは別に……」
「お友達と話していたのでしょう。違うのですか?」
「いやぁ、私はほぼ聞く専門だったから自分のは特に……前は周りに仲のいい男の子もいなかったし」
目の前の照れたように笑う少女が、やはり自分とは違う場所で暮らしていたのだと茶々が思うのは、たまにの言葉の中に不思議な響きを感じる時だ。男性を男の子と呼ぶ。流石に年の離れた相手をそう呼ぶことはないが、同様に女性のことも女の子と呼ぶ。
以前自分も女の子のうちに入っているのかとに聞けば「そりゃそうですよ」と当たり前だと言うような口調で返ってきた。
じゃああの人は、とを保護した男に視線を送った時の彼女の顔は今でも覚えている。普段のを幼い子どものようだと表現するならば、その時の彼女の顔はとても「女の子」らしいものだったのだ。
それを思い出した茶々が不敵に笑ったのでは何事かと目を丸くした。そして茶々は口に三日月のような笑みを浮かべた。
「それでは、今は?」
「はい?」
「前は、いなかったのでしょう」
ぽかんとしたかと思えば、途端にぼっとの顔が赤くなった。今まですらすらと喋っていた口を閉じた途端に部屋が静かになった気がした。
どうしようかと悩んでいるのだろう、口をぱくぱくとさせて何か言おうとしているが上手い言葉が出てこないらしい。
侍女が側に控えているからなのか、それとも自分が姫だからなのか、いつもはどこか一線を引いて接している気がする。だからこそ、ふとした瞬間に本当のを見た時、自然と微笑んでしまうことに茶々は気付いていなかった。
「当ててみましょうか。、こちらへおいでなさい」
ほんの少しだけ楽しそうな微笑を浮かべた茶々は手招いた。戸惑ったはおずおずと茶々の方は近づいていく。
の耳に両手を当てて、天井裏や帳大構えに忍が潜んでいたとしても絶対に聞き取れないような小さな声で囁いた。耳元で鈴のように澄んだ声に吐息が混じり少しだけくすぐったい。その声がよく知る人物の名前を紡いだのでの目は大きく開かれた。
「えっ、え!?いや、違いますよ!?」
「やはりそうでしたか」
「だから違いますって!ほんとに!」
「それは肯定しているのと同じです、」
そんなつもりは、と言いかけた口を閉じる。口を一文字に結んだを見て茶々は目を細めた。
内緒話と言うより弱みを握られたような気がして、何故か自分が劣位な立場に置かれたように感じる。茶々はそんな人ではないと百も承知だが、あまりにも彼女が嬉しそうにするのでの内心は穏やかではない。
茶々が何故そんなことを言うのかというのはこの際どうでもいいが、彼女が指した名前の人物にこのことを知られるわけにはいかないのだ。
「茶々様……絶っっ対本人に言っちゃ駄目ですよ」
「安心なさい。二人だけの秘密です。貴方が認めてくれるのなら、の話ですが」
二人だけの秘密、と茶々が言うと甘美な秘め事のように聞こえる。花の咲いたような笑顔のせいかもしれない。
姫だからというのは抜きにして、茶々の笑顔を見ただけでこうも強く言えなくなってしまうものかと複雑な気持ちになった。自分は女であるのに、茶々に見惚れる男のような気分にさえなってしまう。けれど、どこかで骨抜きにされるのも悪くないと思っている自分がいるのだ。
頷いてしまえば肯定したことになる。けれど首を横に振ったところで茶々は勝手に納得してしまうだろう。それ以前に、真っ赤な顔で焦りばかりが募るに茶々を説き伏せる術などあるはずもなかった。