いとけなき病 上



 久しぶりの遠出だと楽しそうに出かけて行ったのが一月ほど前。再び上田に帰ってきた時、から出発前の明るさは消えていた。戻ってからと言うもの、自室に篭り泣いているらしい。侍女が調理場でそんなことを話していた。
 どんよりした空気を纏ったのはだけではない。妹に同行した信之も同じく暗い顔をしていた。ただでさえ儚げな顔をしていると言うのに、あんな調子では散ってしまいそうな気さえする。
 残念であった。先は長くなかったのだ。色々な声が聞こえる中で多かったのがこれら二つ。何があったのかとわざわざ訊ねる必要もない。
 庭で忍が二人、土産にもらった林檎を囓りながら、落ち込む信之と悲しそうな顔をした幸村を眺めていた。

「何かあったの?」
「ここにいても話し声聞こえるでしょ」
「オレ真田の家臣のことあんまり知らないし」

 これでも気を遣った方だ。不遜な態度のせいで要らぬ反感を喰らうのは御免被りたい。くのいちもそれを汲み取って余計なことは言わなかった。

「幸村様達が仲良くしてた方が亡くなったの」
「やっぱそうなんだ」
様すごく落ち込んじゃったみたい。子どもの頃から仲良くしてたから……」
「重臣とこの娘とか?」
「違う。喜助様っていう方。歳は確か、信之様より少し上だったかにゃあ」

 寡黙だが優しい男だったと言う。ここしばらくは体調が思わしくなく、ずっと寝たきりだったそうだ。
 ふーん、と佐助は何の感情も込めず悲しみに暮れる屋敷の中を見た。真田の家というのは身内の誰かが死ぬたびにこんな調子になるのだろうか。
 喜助とやらがどういう者かは知らないが、こうして多くの人に悲しんでもらえるなら良い人生を送ったのだろう。佐助と名前は似ているが人としては正反対だ。きっと自分はそんな死に方はできない。
 横にいたくのいちが佐助の顔を覗き込み、にやにやと笑った。こういう顔をしている時はろくなことを言わない。

「おやおや、珍しく感傷的になってますねぇ?」
「別にそんなんじゃねーよ」
「主君が悲しいとオレも悲しい……と思う佐助君であった」
「はぁ?何言ってんの」
「おおっ、否定しないなんて珍しい。成長したのかにゃあ」
「あぁもう!うっせーな!」

 林檎の芯を苦無のように投げると、くのいちはそれを予測して身をかわし、木の上に移動した。
 天然な幸村に面食らい、天然に見えて策士なに遊ばれる佐助。先輩として、生意気な後輩が成長したのが嬉しい。そしてからかって遊ぶのはもっと楽しい。
 にゃはん、と満足げに笑いながらくのいちが消えた後に、佐助は苦々しく舌打ちをして投げた林檎の芯を拾った。



 目が覚めたはしばらく天井を眺めていた。外から聞こえる鳥の囀りが朝であることを告げている。
 のそりと起きて少しだけ襖を開けに行く。空は白んできたが早朝というだけあって寒い。身震いしてたった今抜け出したばかりの布団に戻った。頭まですっぽり夜着をかぶる。
 なんだかまだ肌寒いなと思い顔を出すと、襖を閉め忘れたことに気づいた。どうしようか一瞬迷って夜着を頭から被ったままずるずると膝で歩く。ついでに廊下に侍女はいないかと確認したが、まだその時間ではないようだった。

「何その格好……」

 ついさっきまで誰もいなかった庭に、変な物を見るような目をした佐助が立っていた。忍の抜き足恐るべし。しかも若干引いている。

「……寒いからです」
「蓑虫みたいになってるけど」

 そう言われても寒いものは寒い。よくそんな薄着でいられるなと佐助見てつくづく思う。
 こんな早朝に稽古か何かだろうかとは首を傾げた。そうだとしても屋敷のこの辺りに佐助がいるのは珍しい。思わずじっと見つめていると、佐助は気まずそうに目を逸らした。

「変な顔。目、冷やしとけよ」

 そういえば、と思い出して咄嗟に夜着で顔を覆い隠した。身支度を一切していない上に泣き腫らした顔を晒してしまった。くのいちならともかく相手が佐助だから余計に恥ずかしい。おまけに変な顔と言われてしまった。蓑虫のようになったは篭ったままモゴモゴと佐助に訊ねた。

「そんなに変な顔ですか」
「うん。ひっでぇ顔」
「不細工ですか」
「え、いや、別にそういうのじゃないから……」

 珍しく慌てて弁解をする。そこまでとは言っていない。しかし言い方が悪かったのかと、否定すればするほど勘違いをさせてしまっている。何言ってんだオレは、と顔が見えない相手にもどかしくなった。

「その恰好の方がひでーから出て来いって」
「無理です。もう部屋に戻ります……」

 そう言ってはそのままずりずりと後ろへ下がろうとして、ガツンと音を立てて襖に足をぶつけた。篭ったまま呻き声が聞こえる。

「……えっと、大丈夫?」
「大丈夫、です。お休みなさい」

 気が動転しているのかそれとも素で言っているのか、顔も見えないし声も聞き取りづらいから分からない。
 がのろのろとそのまま部屋に戻ろうとした時、佐助はようやく本来の目的を思い出す。部屋に引き込まれていく夜着を掴んで引き止めた。そのせいで躓いたらしくまた変な声が聞こえた。

「ちょっと待って。これ、チビ達があんたに渡してくれって」

 目の前が見えないであろうの前に音を立てて手荷物を置いた。少し考えあぐねたらしく、は夜着の中から片目だけ出してそれを確認した。
 籠の中にヨモギやタンポポ、木の枝が並べられている。タンポポに至っては時間が経って少し萎びてしまったようだ。これはきっと昨日のうちに摘んだものだろう。にも同じ経験がある。
 萎びたタンポポを一輪つまみあげた。チビ、と聞いていつも城下で遊んでいる子ども達を連想した。

「これを渡すためにここに来てくれたの?」
「そうだけど……なんだよ、悪い?」

 むすっとしているのはの言葉を悪い方に受け取ったわけではなく照れ隠しに違いない。
 だって意外だもの、と顔に出ていた。けれど今は夜着のおかげで顔が見えないから佐助は気が付かない。これはしたり、とは布の下でほくそ笑んだ。

「ううん、佐助は優しいのね。ありがとう」
「忍に優しいって何言ってんだよ」
「そんな優しい佐助にお願いがあるのだけど」

 いいかしら、と弱々しく訊ねると佐助は珍しく迷っているようだった。この男、いつもなら即座に断るのだ。
 顔が見えないというのは相手にとって不信感を与えるものだと心得ている。誠意を示すならば正面から相手の目を見るべきだ。しかし状況によっては、顔を隠した方が交渉が有利に進むものだとは学んだ。もしくは佐助にだけ有効なのかもしれない。それもしたり、とまた笑った。