愛し君よ永遠であれ



 初期から近侍を務めている安定は忙しなく働いていた。
 普段は書物がぎっしり詰まった書斎で仕事をするのに、今日はその書斎の整理をするということで書斎との部屋の往復を繰り返している。
 貴重な資料を落とさないように歩くのはなかなか困難だ。それなりに量があるので二人だけでは重労働だが、残念ながら現在この本丸に手が空いている者はいない。
 往復が二桁を超えた頃、の部屋に古びた書物を置いた安定は、とほぼ同時にため息を吐いた。顔を見合わせほんの数秒の間の後、どちらともなく噴き出した。

「安定、疲れてない?」
「平気だよ」
「流石だね。私は明日筋肉痛になってそう……」
「ちょっと休憩する?」
「そうしようか。書斎にこれ置きに行くついでにお茶とお菓子持ってくるよ。ここで待ってて」

 行ってらっしゃい、と見送った安定はよいしょと座布団の上に座った。ここでようやく、昼餉の前におやつを食べてもいいのかな、と思ったが今更だ。
 が帰ってくるまで書物の整理をしておこうかと思ったが、ただでさえごちゃごちゃとしているのだ。これ以上いじると厄介なことになりかねないのでやめておいた方がいいだろう。やれやれと再び座りなおした。
 ふとこの部屋がと同じ匂いであることに気が付いた。彼女の部屋なのだからそれも当然かと思い、一人笑いした。
 近侍としてと過ごす時間が長い割に、安定は主の私室を訪れたことがなかった。女人の部屋であるから不躾にじろじろ見渡すなんてことはしない……普段ならば。

「ごめん主。ちょっとくらい拝見してもいいよね……」

 主の私室というだけで好奇心が芽生える。私物には触らないように、座っている自分の近くの範囲に身を乗り出した。物が多いのはやはり女人だからだろうか。沢山ある可愛らしい小物は清光や乱あたりなら喜びそうだ。
 鏡台には櫛や髪紐の他に化粧品らしい液体の入った瓶が数本、文机の上には本と手紙がばらばらと置いてある。衣文掛けには普段が着ている羽織と見慣れない帽子が掛けてあった。どれも刀剣男士の部屋では見かけない女性らしい色合いの物が多い。
 興味深そうにそれらをじっくり見つめていると、視界の端でゴト、と何かが動いた。
 何もぶつけていないしが戻ってきたわけでもない。安定は恐る恐る振り返る。怪訝な顔をしてゆっくりそれに近づくと爪紅の小瓶が倒れていた。清光が使っている色とは違い、透明で少し青みがかかっている。
 どうしていきなり倒れたのだろうとその小瓶を手に取ると、裏に隠れていたらしい小さな人形のようなものが安定を見上げていた。思わず固まった安定はその人形が瞬きしたのを確かに見た。







「……誰?」
「み、見つかってしまいました……」
「うっかり何か落としちゃったのかと思ったから……ていうかこれ倒したの君だろ?」

 手のひらに収まるほどの大きさの少女はどう見ても付喪神だ。ただし安定ら刀剣と違って、もっと小さな物であるに違いない。
 安定が倒れた爪紅の瓶を元に戻すと、小さな付喪神はぺこりとお辞儀をした。

「私は簪の付喪神です」
「主の?」
「はい。様に私の姿は見えませんが、とても大事にしてもらっています」

 小さな付喪神の後ろに古びた簪が一つ置いてあった。かなり古いが丁寧に手入れがされていることは見て取れる。ところどころ剥げてしまっているが、元は美しい簪だったに違いない。触れるには申し訳なくて上から覗いて見ることしかできなかった。
 簪の付喪神はじっと安定を見上げた。最低でも百年は生きているであろうこの付喪神は随分幼く見える。小さな付喪神は、まるで匂いを嗅ぐように鼻をくんくんとひくつかせた。

「貴方からは懐かしい香りがします」
「え、僕達初対面だよね?」
「はい。様の香り……なのでしょうか、それとも……」
「まぁ、日中は主といるからね」

 簪の付喪神はその性質のせいか、刀剣の付喪神と違って穏やかで真に女らしい。の持ち物である彼女に主と同じ香りだと言われて悪い気はしなかった。

「貴方は刀の付喪神ですね。お名前を聞いても?」
「大和守安定。主は安定って呼ぶよ」
「安定様、そうですか。安定様……」

 安定の名前を聞いてから一人でぶつぶつ呟き始めた。ただでさえ小さな姿なのに、呟く声はさらに小さくて聞き取れない。

「君の名前は?」
「私のような小さな付喪神に名前など与えられていません。ただ簪とだけお呼びください」
「そう、簪ね……。君はいつ頃生まれたの?」
「数百年前です。私の主様は、様でもう七代目になりますかね」
「そうなんだ。主のご先祖様かぁ……」

 七代目と言うと、今から数えてどれくらい前になるのだろう。
 あまり計算は得意ではないので人の寿命を考慮して指を折っていく。今が二二〇五年だから、そこから七代遡って……五十年?いや、八十年?……安定は早々に数えるのをやめた。
 人間の平均寿命は今と昔で随分異なっているとが教えてくれた。平均寿命が延びても早世する者はいるし、病を得ても辛うじて生き永らえる者もいるはずだ。の家系も例外ではないだろう。

「付喪神で歳をちゃんと数える奴っているのかな?僕は自分のこと、大雑把に何百年としか数えてなかったな……」
「眠っている間は時が止まっているように感じますものね」
「代々受け継がれていてもそんな風に思うんだ?」
「ええ、もちろん」

 曰く、この簪は祖母から母へ、母から娘へ、と引き継がれたわけではないらしい。
 直接相手から譲ってもらうわけではなく、主となる人間が簪を見つけ、それを手に取った瞬間からその者が簪の主となる。付喪神にその力があるわけではなく、人間側がそれを悟るのだ。
 もその前の主達もそうだった。
 主を持たない間、簪は本家にある蔵の中の奥の奥、隠し扉の中で眠っている。主が何らかの理由で代わる時(大半は自らの死を悟った時らしい)、先代がそっと蔵へ戻しに来るという。誰に教えられたというわけでもなく、彼女達は皆そうしてきた。人から人へ直接渡ったのは一度だけだそうだ。
 時が移り変わり、昔と違って本家と分家に隔たりなどない時代へ変化した。そのせいか、直系だけではなく分家やその末端、遠い親戚筋の女が主になることも珍しくはなかった。

様は特に、私を最初に手を取った方に似ています」
「君の最初の主ってこと?」
「そうなりますね。まるで生き写しです。様に初めてお会いした時、嬉しくて泣いてしまいました」

 懐かしむ様子に安定は図らずとも親近感を覚えて胸が苦しくなった。
 大切に扱われ、主の傍にいた道具の気持ちは道具にしか理解し得ない。人には限られた命があり、付喪神はそれを眺めることしかできない。無機質な物の状態では悲しみを持て余していたが、安定は人の姿を得てから初めてそれがどういうものかを知った。こうなると人と付喪神の違いがいよいよ曖昧になってくる。

「最初の主はどんな風に君を手に入れたの?君は簪だから、大方予想はつくけど……」
「ふふ、安定様の考えている通りです。主様もその想い人も、とても素敵な方でした」
「……その人が君を蔵に隠してしまったの?」
「いいえ。彼女は死の間際、お嬢様に私を託されました」

 母から娘へ譲られたのはこれが最初で最後。恋人からもらった簪が長い時を経て、様々な女性の手に渡り、今はの元にある。同じ付喪神ながらその歴史の深さに感無量になった。
 しかし簪は己の歴史を誇れないらしい。主が変わるとは言え、人の手に渡ること、その上大切にされるということは物にとってこの上ない幸せのはずだ。

「私は様や彼女のご先祖様をずっと縛ってきたのです」
「縛る?」
「だからもう、私を捨ててくれた方がよいのです……」

 懺悔を聞いているようで、どう声をかけるべきなのか迷ってしまう。朗らかに笑っていた簪の付喪神の顔は、次第に悲哀に満ちていった。
 自らを呪われた品だと宣言しているようだった。縛るという言葉はそういう意味を含んでいるように聞こえた。信じがたいが、この小さな付喪神にそのような力があるのだろうか。
 例えにこの簪の付喪神の姿が見えていたとして、彼女は簪を捨てはしないだろう。根拠はない。だが絶対にそうだと思いたかった。そうでないと、安定は自分がここにいる意味を考え直さなくてはならなくなる。
 ぎゅっと目を瞑って暗闇に浮かぶのは沖田総司の姿だった。彼は自分を捨てるのではなく置いていった人間だ。今代の主もきっとそうなる。だが今はまだ考えたくない。

「……僕は嫌だ。捨てられるなんて。置いていかれるのだって嫌なのに」
「付喪神なら誰しもそう思います。分かりますよ」
「君だってそうだろう」

 安定の問いかけには答えなかった。例え呪われた道具だとしても、捨てられることを望む付喪神なんているわけがない。
 悲痛さを滲ませた顔を上げた簪の付喪神は安定を見据えた。小さくとも数百年生きた付喪神だ。もしかすると安定より古くから在るのかもしれない。彼女から溢れる見たことのない神々しさに安定は固唾を呑んだ。

「安定様、どうか様をお守り下さい」
「何、それ。もうすぐ消えてしまうような言い方やめてよ。……ずっと大切にされてるのに、どうしてそんなこと言うんだよ」
「ふふ、お優しいですね。まるで……」

 はっと何かに気が付いた簪の付喪神は安定から視線を外した。安定もつられたが同じ方向を見るまでもなく、外から足音が聞こえてきた。
 安定は慌てて元々座っていた座布団の上に戻った。何故慌てたのか自分でも分からない。が襖を開けたのと安定がきちんと正座をし直したのはほぼ同時だった。

「お待たせー。今何か言った?」

 こちらに背を向けてが襖を閉めている間に、安定はちらりと簪を盗み見た。もうそこに付喪神の姿はなく、完全に姿を隠してしまっていた。

「……ううん、何も。空耳じゃない?」
「そう?まぁいいか。休憩しよう。光忠お手製の苺大福持ってきたよ」
「そう……」

 また勝手に拝借したのかと、いつもなら追及するはずの安定に覇気がないのでは小首を傾げた。慌てて「何でもない」と言って受け取った茶をあおった。
 に遠き日の簪の主を重ねてしまう。見たことがないはずなのにおかしな話だ。
 あの付喪神は一体どんな気持ちでの傍にいるのだろう。最初の主と瓜二つと言ったからには、今でもその主に思いを馳せているのは間違いない。似た物同士の付喪神が不思議な巡り合わせでという人間の元にいるのは果たして偶然だろうか。
 安定は簪の付喪神にまだ聞きたいことがあった。が部屋に戻ってくる前、安定は確かに聞いたのだ。お優しいと形容した言葉をまさかこの場で聞くなんて思わなかった。
 とその先祖を縛っていたと言って悔やんでいる素振りを見せたくせに、どうして最後の最後に安定まで縛ろうとするのだろう。彼女の声が頭から離れない。


――まるで、沖田総司様のよう。