薄れ日に咲いたスカーレット



 ただの護衛ならば真っ黒なスーツを着ていればいい。無骨な男であればそれだけで抑止力になる。
 私がそうしないでメイドであることに徹しているのは、相手の警戒心を緩めるためだったり護衛と思わせないためだったりする。
 しかしメイドは私にとって適職だと思う。給仕は楽しいし掃除だって嫌いじゃない。何より服と化粧の相性がいい。

、3時に客が来るから用意を頼むよ」
「かしこまりました」

 主に一礼して顔を上げる途中、つやつやした机の上で組まれた主の指に、指輪がいくつかはめられているのが見えた。赤い宝石は私の愛用の口紅に似た色だった。
 言われた通り早速支度に取り掛かろうと厨房へ向かう。途中数人のメイド達とすれ違った。
 ここでは護衛の殆どが使用人として働いている。だが念を使えるのは私だけだ。もう少し念能力者を集った方がいいと思う。この護衛力ではいざという時、主の安全を保障できない。

 まずいな、と思ったのはそれから数時間後のこと。
 予定より早く到着したらしい客は、予想とは正反対の青年だった。もちろんただの青年ではない。ノストラード組の若頭だ。
 玄関ホールで青年を迎えた侍従が目線を私に送った。案内せよとのサインだ。

「お待ちしておりました。クラピカ様でいらっしゃいますね?」
「ああ。連れを外で待たせているのだが、待機させたままでもよろしいだろうか」
「でしたらお連れ様を別室にご案内させていただきますが」
「いや、屋敷に入るのは私一人で結構だ」

 非常に面倒くさい。
 連れだろうがこちらが迎える客である以上、屋敷に入れないというのはよろしくない。
 そもそもマフィアが部下も引きつれず単独で面会するなんて聞いたことがない。未熟か馬鹿か、このクラピカという男は恐らくどちらでもない。冷静かつ豪胆な自信家と言ったところだろう。
 思惑、謀略、なんでもいい。この男には確実に何かある。形は違えど同業者として私の勘がそう言っているのだ。
 少し迷ったが、向こうが拒否している以上ごねても仕方がないので様子を見るしかない。

 階段を上り絵画が飾られた廊下を通り、その間ずっと無言で進んでいる。後ろにクラピカの気配を感じながらも警戒は緩めない。だが警戒されていると思われてもいけない。
 色々考えているうちに、玄関ホールからかなり離れた通路へ出た。有名な画家が描いたと言われる大きな絵画が飾ってある角を曲がり、今回彼をもてなす部屋に到着した。

「それではこちらでお待ち下さいませ」
「ああ」

 ドアを閉めて今度は主を呼びに向かう。
 厄介な客は久しぶりだ。力でねじ伏せようとする輩の方が楽だ。あれこれ考えなくて済むし、手を回すこともない。
 早く帰ってくれないかな、と願うことしか私にはできなかった。

 ティーセットを用意して部屋の片隅で待機している間、私はずっと向かいの壁の装飾品を眺めていた。銀でできた燭台のことばかり考えようと思っていたのに、会話は嫌でも耳に入ってくる。
 話の内容は至って普通のビジネスだ。投資、出資、株やら趣味の話。いつもの客と何ら変わらない。マフィアとして、ビジネスとして、何の疑問もない会話。あまりにも普通過ぎてますます余計に考えてしまう。
 ……本当に早く帰ってくれないかな。





 主が夕食を終えた頃、私も自室に戻った。ナイトランプだけが灯る部屋は外の暗さをより明確にさせた。
 休憩を終えたら、あっさり帰ったあの青年のことを調べなくてはいけない。メイドの、というより護衛の仕事はまだ終わらないのだ。
 化粧を直すために洗面台で軽く整える。白い蛍光灯は自分の顔色を悪く見せた。
 今度は髪を結い直そうと結び目を解いた。しかし運が悪いのか凶兆なのか、ばちんと爽快な音がして髪留めが切れてしまった。替えを用意するため一旦寝室の方へ戻らなければ。
 だが洗面所のドアに手をかけた時、全身に緊張が走った。ロングスカートの中にある武器を上から撫でて寝室へと踏み出した。なるべく平常心で。

「ノストラード組の方は、女の部屋にノックもなしに忍び込むのですね」

 暗い部屋の奥、隅にある椅子にクラピカが座っていた。侵入者らしからぬ堂々っぷりで、こちらのオーラに臆する素振りは見せなかった。

「それについては謝罪させてほしい。このような手段を取ってしまい申し訳なかった」
「そう思うのでしたらすぐにお帰り下さい。今なら主には伝えません」
「残念ながらそうはいかないんだ。昼間は君の主にだが、今は君に用があって赴いた」

 夜に女の部屋を訪ねるどころか不法侵入をしているのに、ちっとも悪いと思っていないような態度だった。
 前かがみに座ったクラピカの両手は、今朝の主の手と同じように組まれていた。指にはめているものも似ているが、主の指輪と違ってそれは鎖で繋がっている。何かを攻撃するものであると自分の直感で判断した。
 ジャラジャラと鎖がこすれる音がする。クラピカは体勢を直したからだった。姿勢を変えたところで何が変わると言うのだろう。

「単刀直入に言おう。取引をしたい」
「持ちかける相手を間違えているのではありませんか?」
「君の疑問はもっともだが、生憎間違いではないよ」

 私を見る暗い瞳に一体どんな感情があるのかは、部屋が暗すぎて判断できない。こちらの意思などまるで無視してクラピカは先へ進んでいく。本題はこれからだ。

「主の裏の顔を側近の君が知らないはずはない。私が何を言っているか分かるだろう?」
「仮にそういったものが主にあるとして、私が軽率に口にするとでも?」
「そうだな。だからこうして頼みに来た」
「頼むですって?マフィアらしくもない、こういう手口はかえって怪しく思えます」
「話が分かる相手に卑怯な手段は取らないさ」

 つまりはこれは彼なりの誠実なやり方であるらしい。言い繕おうとしない堂々としたところは、やはり自信の表れと言っていいだろう。
 その様に毒気を抜かれたわけではないが、今のところ相手に敵意がないことは分かった。ならばこちらも同じことをするだけだ。

「お仲間を使って外から屋敷を偵察……確かに誠実な探り方をしていましたものね」

 皮肉を言ってもクラピカは特に気にしていないようだった。
 昼間の連れとやらを放置したわけではない。ただ、何も動きがなかったから様子を見ただけだ。その結果、こちらに関わることなく帰ってしまった。
 ドレッサーの椅子に腰かけ、脚を組んだ。行儀が悪いから客人の前では絶対にしないことだが、彼は客人ではないから問題ない。それに私は元々この場所に用があったのだ。
 手を伸ばしてドレッサーのランプを点けると幾分か部屋が明るくなった。
 化粧はあらかた直し終えたが全て終わったわけではない。引き出しを開けて、数ある化粧品の中からいつも使う口紅を机の上に転がした。ドレッサーの光に反射して装飾の金色の部分がきらりと光った。
 視線を感じたので、それをはじき返すように見返した。理解できないとでも言うような表情だ。

「こんな時にすることか、もしくはメイドが普通の女のように化粧を施しているのがおかしいか、そのどちらかでしょうか」

 返事はない。理解して欲しいわけではないからそもそも返事は要らないのだ。
 もちろんメイドも最低限の化粧はするが、一般の女と同じような化粧をするわけにはいかない。メイドとは目立ち過ぎてもいけないし地味過ぎてもいけない。
 明かりがなくてもどれくらい口紅を塗ればいいか分かっている。だが明るいところで鏡を見て塗った方が綺麗に唇を染めることができる。
 まだ視線を感じる。私の視線はそちらにはない。美しく赤を引くことは仕事の一環でもあり、私のモチベーションにも関わることなのだ。
 この口紅ももう何代目だろうか。もうすぐなくなりそうな中身を確認してからキャップを閉めた。

「赤い口紅を塗っていると、不思議と獲物が寄ってくるんです。それを始末していくのが私の仕事」

 投資家という職業柄、主に近づこうという者が多い。主に近づくために私を通そうという者もいる。怪しい輩を一斉に炙り出すにはこうして惹きつけるのが一番手っ取り早い。
 少女らしい清純さで飾ると舐められる職業だ。そういう幼さを纏った女に対する油断とは違うところを狙う。従えやすそうな女に見えるが一筋縄ではいかなさそう、という印象を与えるのが大事だ。

「考えや過程は違うかもしれないけれど、引っかかってしまった以上貴方もそんな獲物と同じですね」

 ドレッサーの明かりで部屋が明るくなったとは言え、隅の方にまでは届きにくい。表情の機微はぼんやりとしか分からないが、クラピカがかすかに、しかし確実に不愉快そうに眉を顰めたことだけははっきりと分かった。そのおかげで溜飲が下がった。
 断っても殺しはしないかもしれないが、次の手は考えてあるのだろう。彼の言う通り、私は話が分からない人間ではない。

「……まぁ、その輩と違って貴方は取引を持ち掛けてきた。紳士的な方でしょうね」
「聞くに値すると判断してもらえたということかな」
「聞くだけ聞きましょう。判断するのはそれからです」

 相手が自身を誠実だと思っているのなら、こちらもそのように応えるべきだろう。
 その結果が雇用主に対して不誠実な仕打ちをしてしまうとしても、今この瞬間だけは私はメイドとして、護衛として、主のために誠実な対応をしたと絶対の自信を持って言える。





「一つ理解できないことがあるのですが」
「何だ?」
「殺して奪えば良かったのでは?私のことは自分の仲間に任せておけばいい。貴方なら主を抵抗させることなく仕留められたでしょう」

 玄関先までクラピカを送る。部屋で硬直したままの主を置いて、後のことは侍従や他のメイドに頼んだ。
 クラピカの手には厳重に包まれた荷物−−主が昔手に入れた「緋の目」がある。
 彼は先日と変わらずわざわざアポイントを取り、私にしたのと同じように主に取引を持ち掛けた。
 だがあの時と違うことが二つある。躊躇うことなく脅迫したこと。そして私は彼に従った方がいいと主を後押ししたこと。忠実に働いてきた私は、初めて主を裏切った。
 だからこそ思うのだ。回りくどいことをせずに殺してしまった方が楽だしマフィアらしい。禍根を残すことにはなるが、それがマフィアというものだ。

「穏便に済ませられるならそうした方がいいに決まっている。相手の出方次第だがな」
「その考え方はマフィアに向いていないと思いますよ」
「確かに、君の方がよっぽど向いている」

 玄関の外へ出ると、陰鬱な屋敷の雰囲気が風のおかげで一層された気がした。
 緋の目を手に入れるという彼の目的は分かった。だがその理由は分からずじまいだ。思惑を探るのが私の仕事だったのだから、全て終わってしまった後に知ろうとは思わない。
 ただ気になるのは、クラピカが何か思索に耽っているように見えることだ。そして案外早くその理由を知ることになった。

「一緒に来ないか?」
「どこへ」
「ノストラード組へ」

 もう会うこともないだろうと思っていたのに、クラピカが私をスカウトしに来たのは別の日のこと。
 朝の準備をしていた時間帯の、ちょうど口紅を塗り終えた頃だった。前回とは違い、きちんと私の部屋のドアをノックをして来たが、屋敷への不法侵入には変わりない。
 口説き文句にしては堅すぎる。だがそれを含めて彼はあえて狙った。一番綺麗に化粧が仕上がり、メイドとしても女としても私が誇りを持てる瞬間に、正攻法で。
 それに対して、私がどう答えるのかもまた別の話である。