もぞもぞと布団の中で身じろぐ。いつものように朝早くに目が覚めた時、部屋はまだ暗く少しだけ肌寒かった。
視線を天井から横に向けると、隣で眠る三成の姿が目に入りしばらく見入ってしまった。ぼんやりしていた頭はゆっくりと覚醒していき、は目を細めた。
久しく見ていなかった寝顔は端正なことこの上ない。手を伸ばして髪を触ろうとしたが途中で引っ込めた。繊細な彼のことだ。もしかしたらの行動一つで起きてしまうかもしれない。こんな風に見つめている間だけは三成の眉間が険しくなることはないのだから、貴重な光景であると言っても過言ではないだろう。
随分長い間一人で夜を過ごしたような気がした。それだけに隣で眠る彼が愛おしく、まるで母親にでもなったような気持ちになってしまう。
このまま三成の寝顔を眺めていようか炊事場に行こうか悩むところだ。またすぐ留守にして一人寂しく夜を過ごすことを考えれば今は彼の隣にいたい。しかし自分が作る朝餉を食べてもらいたいという気持ちも強い。
散々迷った挙句、よし、とはそっと布団から抜け出すことに決めた。布擦れは最小限に、気配は殺して音は立てないように、いつものように炊事場へ向かおうとした。
しかしその試みは失敗に終わった。そっと布団から抜け出そうとした瞬間にぐいと腕を引かれ、起き上がろうとした体はあっさり崩れてしまった。
どさりと布団に落ちる音はなく、の背には三成の手が添えられている。次の瞬間に見たのは、寝起きだと言うのにやたらと目つきを鋭くした三成の顔だった。
「何処へ行く」
「あ、朝餉の支度を……」
「そんなもの女中にやらせておけ」
寝起きだからなのかの行動のせいなのかは分からないが、三成の声は低く唸るようでとても機嫌が悪いように聞こえる。
距離があまりにも近いのに恥ずかしいとは微塵にも思わなかった。慣れているからというわけではない。間近で鋭い眼光がを刺し、色事とは全く関係のないバクバクとした心臓の音が鳴り止まないのだ。
は戦や政に関して一切口出しはしない。三成にとやかく言うのは食事や休息のことのみであり、それらに関しては彼が反論しようが駄々をこねようが一歩も引かなかった。
しかしそれ以外で本気で三成に睨まれるのには滅法弱かった。だからこの状況の胸の高鳴りは恐怖によるものと言うべきである。
背中に回された腕は細い割に力強い。起きたばかりだというのにそんなことは微塵にも感じさせない三成に対して感心している余裕はなかった。
「実は今日だけはそうしようと思ったのです。先程までは」
「ならばそうしろ。何故抜け出そうとした」
「それは、その……」
言い淀むと三成は更に眉間に皺を寄せた。夫婦になって暫く経つとは言え、普段の冷たい表情と今の表情は全く違うし、こういう原因の分からない不機嫌な時ばかりは流石にも怯んでしまう。
この距離で目を逸らしてしまえば不自然だし、更に三成の機嫌を損ねることになってしまうだろう。
抵抗するつもりは全くなかったが反射的には身を捩らせた。それを不満に思ってか、抱きとめられた腕に数段力が込められた。色々な意味で心臓が飛び出そうになる。
「寝顔を……」
「何?」
「い、いえ。本当はもう少し眠ろうかと思ったのですが」
「ならばそうしていろ」
「せっかく三成様が帰ってきてくださったのですから、私が作った物を食べていただきたくて」
貴方の母上様になった気分になりました、なんてうっかり言ってしまうところだった。危ない危ないと胸を撫で下ろす。
けれど朝餉の支度に関しては本音である。のんびりと部屋で三成を見ているより、やはり自分の作った朝餉を食べて欲しい。日頃から多忙な夫のためを思えばそれを最優先するべきなのだ。
しかし三成は鼻で笑っての髪を指で梳いた。地肌をするりと抜けていった指の感触でぞくりと身震いする。
「朝餉はとる……そういう約束だからな。だが今日はお前が作る必要はない」
あぁ珍しい、こんな風に目を細めて穏やかな顔をするなんて。顔が熱くなるのを感じて頬に手を当てようとするも自分の腕を動かせそうにもない。
「だからもう少しこのままでいろ。外に出ることは許さん」
「二度寝しろと言うことでしょうか」
「……なんだ、昨晩の続きでもしたいのか?」
口角が上がった顔は悪巧みをしているような、こちらがどきりとさせられる表情だ。
気のせいか先刻よりも距離が近い。そう思っていると背中に添えられていた手が離れ、ゆっくりと褥に体を抑えつけられた。嫌な予感がする。
確かに起きるにはまだ早い時間ではあるが、それならまだ眠ってもらった方が体のためではないか。
しかし三成はそんなこと露ほどにも考えていないらしい。項を撫でられ肌が粟立ち、声まで震え上がった。
「ですが三成様。お休みにならなくても大丈夫なのですか?」
「いらぬ気遣いだな。怠惰に休むのは時間が惜しい」
「そういう意味ではなくて……というか三成様はもう少し休むべきですよ!寝て下さい!」
普段から君主のために動き回っている彼のことだから、自らのために休むなんて言語道断とでも思っているのだろう。にとってはそんな考え方こそ言語道断である。
久しぶりの帰還が嬉しくてつい夜更かしをしてしまったことが間違いだったのかもしれない。ただ寄り添っているだけでも良かったと言えば嘘になるから自分にも非があった。
昨晩の熱がぶり返しての白い肌がほんのり赤く色付いた。体勢を変えようとする三成をやんわり押し返すも力で敵うはずもなく、そして嫌だとも言えるはずもなく。故に話を逸らして気を紛らわせようと思いついた。
「三成様、いつから起きていらしたのですか?」
「あまりにもお前の視線が突き刺さるので目が覚めてしまった」
「それはつまり、初めから起きていたということですか?あまり眠っていないということですよね?」
「……少しは空気を読め、馬鹿者」
銀の髪がの顔にさらりとかかり、視界が覆われたように暗くなった。次第にの体温も上がっていく。
もう暫くすれば外は明るくなるというのに良いのだろうか。こうなっては最早自分の言葉などに耳を貸さないだろう。しかし完全に拒絶できないのも事実。
色々と悶えているうちに首筋に吐息がかかってやっと我に返った。色々な意味でやっぱり駄目だ。
「あの、待って、待って下さい。こんな早朝ですと途中で誰か来てしまうかも」
「何を今更」
「せめて夜が更けてからに……!」
いっぱいいっぱいになって思考より先に口が動いた。体を押さえつけられているから何かを伝えるには口先しかない。しかし自分が何と言ったか顧みるには時間が足りなかった。
ほんの少しの間。迫りくる気配はぴたりと止まったままだ。すると間近にあった吐息がゆっくりと遠ざかる。あれ?とが不思議に思っていると三成は少しだけ体を起こした。それでもまだ距離は近いが、昨晩のような雰囲気は薄れつつある。
惚けた表情のの頬を撫でた三成の表情は先程と全く変わっていなかった。
「その言葉、忘れるな」
そう言ってから三成は何か良からぬことを考えていそうな笑みを浮かべた。忘れるとは何を、と思い返してたった今言ったばかりの言葉が徐々に蘇ってきた。
ほんのり赤くなったの肌が更に赤みを帯びていく。もしかすると自分はとんでもないことを言ってしまったのではないか。
弁解しようと引き留めようにも、言質を取った三成はあっさりの上から退いた。そして自分の寝床へ戻る彼を見ては呆然とする。
「あの、三成様?今のは一体……」
「なんだ、期待していたのか?」
「ち、違います。いや、違うわけではないけれど、そうじゃなくて」
嫌とか期待とかそういう問題ではないと言いたかったのに上手く言葉が紡がれない。これでは自分一人で興奮していたようで極まりが悪い。
元凶である三成は「寝るか炊事場へ行くかさっさと決めろ」としか言わなかった。あまつさえに背を向けて布団の中に潜っている始末。情事に持ち込もうとしたくせになかなか酷い仕打ちである。
本来これで良かったのだと自分の望みが叶った面では喜ぶべきなのだが、もやもやとしたものを抱えてしまったことに関してはそうはいかなかった。このやりきれない感覚は一体なんなのか。
今朝の三成が寝ぼけていたのかそれともそうではないのか、夜にならなければ分からない。ともかくにとって長い長い一日になることには違いなかった。