護衛の二人に案内され、はノストラードファミリーの中で最も苦手な男、ダルツォルネと対面した。形ばかりの挨拶を済ませると、ついて来いというようにダルツォルネは無言で背を向け歩き始めた。いつものことではあるが、何か言いなさいよと思いながらも無言で追いかける。
長い廊下を歩くとコツコツと靴の音が響き渡り、独特のリズムが刻まれているように感じる。と前方を歩く男の間に会話はないが、この方が楽だった。会話がある方が苦痛だ。
最後にノストラード氏の屋敷に来たのは2か月ほど前だった。相変わらずだなと思いながらは屋敷を見渡した。廊下には気味の悪い飛び出した人間の絵が飾ってあるし、とある部屋を通った時には変な臭いがした。この男もこの屋敷も、前に来た時と何一つ変わっていなかった。
いつもの部屋まで辿り着くとダルツォルネはドアをノックした。この瞬間は緊張する。
「ボス、を連れて参りました」
「はーい、どうぞ」
開いたドアの先にはボスと呼ばれた少女がベッドに寝転んで雑誌を読んでいた。可愛らしい部屋は広く、ある意味で整えられたように服や本が散乱している。あれもこれもと悩んだり楽しんだりしながら引っ張り出したのだろう。それだけ多くのものを持っているという象徴に見えた。
部屋を台無しにしているのはガラスケースだ。液体の中で骨のような物が浮いている。なるべくそれを見ないようにしてベッドの上の少女――の契約主であるネオンに挨拶をした。
「、これ読んでるからちょっとそこに座って待ってて」
「かしこまりました」
ネオンの指示通りにはベッド脇の小さな椅子に腰かけた。ダルツォルネも部屋の入口でじっと立ったままだ。この男のことは好きではないが、いつもこんな風に待機させられているのかと考えると少し同情する。
少し経ってからようやくネオンは雑誌を放り投げて背伸びをした。ネオンにを呼ばれたは椅子から立ち上がってベッドに腰かける。久しぶりね、なんて会話もないままネオンはの両手を掬った。
「ね、手見せて」
「はい、どうぞ」
プレゼントを開けるかのようにわくわくした顔のネオンはの手から目を離さない。言われた通りは手袋をはずして両手をネオンの前に差し出した。
「はぁ……いつもながら綺麗な手だなぁ……」
「ふふ、ありがとうございます。お嬢様のために毎日欠かさずお手入れしてますから」
「ほんとに?ありがと!」
うっとりとした表情での両手をネオンの手が包み込む。握手とも言い難いこの行為は会いに来る度に行われている。その最中、彼女が大好きな「人体」を愛でている時と同じ目をしていた。
「ヨークシンの演奏会っていつからだっけ?」
「3日後ですよ。今回はいらっしゃらないんですよね?」
「うん。演奏会も捨てがたいんだけど、やっぱり今回のオークションは絶対参加したいもん!は何か欲しいものないの?」
「私はあまりオークションに詳しくはないので……お嬢様が競り落とした商品を見てみたいです」
「分かった。楽しみにしててね!」
子どものように裏表のない様子でネオンは笑った。例えが社交辞令でそんなことを言ったとしても、彼女は本気でそれを受け止める。は人体なんて目にも入れたくないのだ。
ネオンが話すことに笑顔で相槌を打ってしばらく、今度はピアノが聴きたいと言い出した。
「今日は何を弾きましょうか?」
「3日後に初めて弾く曲がいいな。私が誰よりも先に聞けるもんね」
「かしこまりました。それでは参りましょうか」
機嫌がいいらしいネオンはベッドから降りてを急かした。ピアノが置いてある部屋はここからすぐだ。は手袋を入れた鞄を持ち、もう片方の手はネオンに引かれた。こうしていれば仲のいい姉妹のように見えるのだろうか。
手袋越しではない自分の手に他の人の手が直接触れるのは久しぶりだ。事情が事情なため相手に対しては複雑な思いしかないが、それでも直に触る人の手というものは温かかった。
◇
立派なグランドピアノは、いつもこの部屋で誰に弾かれるわけでもなく静かに佇んでいる。この屋敷には弾く人間がいない。ネオンが「のために」と言って購入したが、はいつもここに滞在するわけではない。
可哀想に。は久しぶりに触るピアノにそんな気持ちを抱き、黒い側板を撫でた。
いつもならネオンが「もういいよ」とか「次で終わりにして」とか言うと演奏は終了する。
たまに今日のようにネオンが眠ってしまうことがあるので、そうなるとは演奏を止めなければいけない。曲に飽きて眠ってしまうのか心地よくて眠ってしまうのか、にとってはどちらでもいい。気分良くしてあげられたのならそれで良い。
演奏が終わったので再び手袋をつけ直した途端にほっとして、ずっと胸に引っかかっていた不安が抜けたように感じた。
二人の侍女がそっと布団をネオンにかけてそのまま眠らせる。は部屋の隅で無表情を貫いているダルツォルネに会釈をして無言で部屋を出た。
ネオンから呼ばれるまでいつも待機している客室へ向かう。廊下を歩いている途中で占いのことを思い出した。この屋敷に来たのはネオンに占ってもらうためだったが、ここ最近の多忙のせいで忘れそうになった。
後ででも構わないだろう。やネオンが忘れたとしてもダルツォルネが忘れるはずがないのでとりあえずは一安心だ。
しばらくすると廊下を歩くもう一つの足音が聞こえた始めた。誰かが反対側から近づいてくるものの、薄暗い廊下の先まで見通すことはできなかった。
歩みを止めずに進むと、次第に見えて来た足音の正体は空港で会ったクラピカだった。
「どこへ行くんだ?」
「宛てがわれた部屋で休もうかと」
クラピカは顔をしかめた。と言うより、腑に落ちない表情だ。何か変なことでも言っただろうかと思ったが、以前にも彼以外にもこういう顔をした人達が何人かいた。
「ダルツォルネさんは私のことを何と言っていました?」
「貴方はボスの友人であると聞いた」
「そう、その通りです。お嬢様とは親しくさせていただいています」
親しくしている、と言うわりにそうは聞こえなかったようだ。
お嬢様と言ったことが不思議だったのだろうか。未だに腑に落ちない様子のクラピカを見て、珍しい人もいたものだと今度はも不思議な気持ちになった。新米だろうかと聞きたくなったが、それは失礼な質問な気がする。
「とは言っても、私に人体収集の趣味はありませんが」
「……ああ、そうだろうな。いや、そういう意味で訊ねたわけではないんだ。すまない」
じゃあどういう意味で、と聞きたくなったのを我慢した。ネオンやダルツォルネならともかく、護衛の人間と話す機会が滅多にないので普通に話していいものか迷う。それにこんなところで違和感を与えてしまったのはの失態だ。
「貴方の本職を知っている仲間がいたので、貴方がピアニストだということは知っている」
楽譜を抱え込むように持つの両手の黒い手袋。クラピカは楽譜を持つの手に何故か釘付けになった。これがダルツォルネが言っていたとネオンの契約。詳しく聞いたわけではないが「友人」とは言い切れない間柄であるのは目に見えて明らかだった。
「先ほどの曲、とても美しかった」
ほんの少しだけクラピカは微笑んだ。あら珍しい、と思いながら礼を言った。
ノストラードファミリーと関わってきた中で、自分の演奏を褒めてくれたのはネオンだけだった。護衛は護衛として努め、客人のことを気に掛けるような人間はいない。だからこそクラピカの反応が意外ではあったが嬉しいことには変わりはない。
今の空気なら新米かどうかを聞けそうな気がしたが、が声をかける前にクラピカは自分の仕事に向かい、廊下の奥へと消えてしまった。
Reverie - C. Debussy