霧が晴れていく






 ネオンを訪ねた際、ピアノを弾くだけに限らずネオンの話し相手になることも仕事のうちだ。
 服や化粧品、流行の話をしている時のネオンは普通の女の子だ。それなのに話が脱線すると、スカートやネイルといった言葉は途端に脳みそや大腿骨といった非日常的な言葉に変わる。
 夕食を共にして、食べ終えてからネオンは部屋でサザンピースのカタログをに見せた。欲しい物が沢山あるの、と言いながらカタログをめくる。めくっていく間もネオンはあれも欲しい、これも欲しい、などと楽しそうに語った。
 宝石や骨董品の写真や紹介文を読む分にはまだいい。人骨が埋め込まれた椅子のページでネオンが興奮しているのを見ては目を細めた。

「いい趣味してますね」
「あー!またそういうこと言う!」
「座ると呪われそうなデザインじゃありませんか」
「それがいいんじゃない!」

 頬を膨らませていてもネオンは怒っていない。むしろの答えを期待していたかのように楽しそうに笑った。もそれを見てくすくす笑う。ネオンと二人だけの空間ではそこまで息苦しさを感じないのだ。
 オークションの話は尽きないと思いきや、気分が変わったらしいネオンは映画が観たいと言い出した。はそれを了承すると、再びネオンはの手を取ってシアタールームに向かった。
 映画を見始めて数十分、最初こそはしゃいでいたネオンは眠そうな声でに呼びかけた。

「ねぇ、ヨークシンに着いたら一緒に遊びに行こうね」
「そうですね。仕事が一段落したら連絡します」
「約束だよ……」

 隣に座るネオンを見ると既に彼女は眠りに落ちていた。もこの映画に飽きていたところだが、自分の肩に寄りかかって眠るネオンを起こすのは悪い気がして、そのまま映画を観ることにした。
 ネオンはよく「約束」と称してをあちこちに連れ出す。彼女との約束を破ったことは一度もない。ネオンが怒ったら厄介であることを、侍女達が話しているのを偶然聞いたことがあるからだ。だからできないことは始めから断っている。
 それだけではなく、ダルツォルネの目が光ってるうちは下手なことはできなかった。ネオンとの約束は破らぬよう言われているが、基本は本業優先。ピアノを弾く以外にネオンと出かけることで報酬を貰うことはありがたいが、自分の知っている友人関係とはほど遠い気がした。

「こんな時でも手を離さないのね」

 自分の左手を握ったまま眠るネオンを見てぽつりと呟いた。静かに寝息を立てて眠るネオンには聞こえない。その寝顔を見ていると漠然とした黒い靄が胸に満ちていった。


「彼女、最近人気が出てきた若手のピアニストなのよ。忙しいはずなのに大変ね」
「それなら尚更マフィアと関わる理由が分からないな。メディアに取り上げられたら本業に支障が出そうなものだが」

 帰り支度が済んだことを伝えに来たら、そんな会話が聞こえてきたので部屋の中に入るのを躊躇った。
 さっさとドアを開けるべきだったが、つい聞き耳を立ててしまう。気にしないことが一番だと分かっていても、仕事に差し障りがあるかどうかという意味で、自分の噂は良いものでも悪いものでも気になってしまうのだ。
 するとコツコツとドアの向こうからこちらに歩いてくる音が聞こえ、慌ててドアから離れた。さっさと入ってしまえば良かったと後悔する前にドアが開いてしまった。部屋の中から背の低い護衛がの様子を伺ってにこりと笑った。

「あら、準備はもうできたかしら?」
「はい。遅くなってすみません」
「いいのよ。じゃあ行きましょうか、車は表に出してあるから」

 何事もなかったかのように穏やかだ。聞き耳を立てていたことを注意されるかと思っていたので胸を撫で下ろした。
 この女性も今まで見たことがなかった。あまり気にしたことはなかったが、マフィアの護衛というのは入れ替わりが多いのかもしれない。
 女性の後を追う前、は振り返って部屋の中にいるクラピカに会釈をした。今の会話は聞かなかったことにする。悪い噂のある音楽家は少なくはないし、自分もいずれそうなるかもしれない。

 結局ノストラード氏の邸宅に滞在したのはほんの数日だけだった。これからコンサートのためにヨークシンへ向かう。
 常に気を張っていたせいか、仕事が一段落したことでは急に肩の力が抜けた。
 次にネオン達に会うのはオークションが始まった頃になるだろう。競り落とした商品を披露されるのかと思うと気が滅入るが、社交辞令を言ったのは自分なのだから仕方がない。
 空港まで送ってくれるセンリツとバショウに礼を言うと、は車の後部座席に乗り込んだ。毎回送り迎えをしてくれる護衛達には感謝している。こんなに疲れているのに自力で空港に行く気力なんてない。
 顔にそれが表れていたのか、他の理由か、センリツが助手席から振り向いてに声をかけた。

「これから演奏会があるんでしょう?空港に着いたら起こすから寝ても大丈夫よ」
「すみません。ありがとうございます」

 その言葉に甘えては小さく微笑み目を閉じた。センリツの優しい声が耳に心地よい。
 ネオン以外に演奏会のことを言っただろうか。ダルツォルネ辺りが言っていたのかもしれない。思考の海に深く潜る余裕はなく、かと言って眠れるわけもないので目を閉じるだけにした。

 声をかけられて目を開けると、いつの間にか空港に到着していた。センリツが「着いたわよ」と優しく声をかけてくれてようやく頭も覚醒する。
 礼を言って車から降りて、バショウがスーツケースを降ろしてくれるのを待っていると隣にいたセンリツがを見上げた。

「今回の演奏会は若手が集まるんですって?」
「はい。よくご存じですね」
「私も一応音楽を嗜むから、貴方のことも知っていたの」

 センリツの笑顔はつい先日のクラピカの言葉を連想させた。こっちの仕事ではなく、本業の自分を知っている人がいることが嬉しくて顔が綻んだ。

「仕事がなかったら私も貴方のピアノを聴きに行きたかったわ」
「お気持ちだけでも嬉しいです。今度ぜひ招待させて下さい」
「ありがとう。……あまり気を張りすぎないようにね」

 少し含みのある言い方だったがは素直に礼を言った。口調も態度も穏やかで親しみやすい護衛とは珍しい。センリツといいクラピカといい、護衛という言葉があまり似合わない。見た目では分からないような手練れなのだろう。

「忘れ物はないわね。それじゃ、ヨークシンでまた会いましょう」
「はい。ありがとうございました」

 車に乗り込んだセンリツは、発車の前にもう一度を見た。何か気になることでもあったのだろうかと思っているうちに車は遠くへ走って行く。もう見えなくなったというのにはその場からまだ動けずにいた。
 センリツのようなタイプの護衛に会ったのは初めだ。大抵の護衛はしかめ面をして、自分たちのボスの客相手にもその態度を崩さない。
 人事に何か考えでもあってああいうタイプの人を雇ったのだろうか。ダルツォルネがいつも面接をしているらしいが、あの男にしてはなかなかのセンスだと思う。


Tagen letter - C. Nielsen