秘密






 少しやつれた顔のクラピカはとの待ち合わせの場所へと向かっていた。とある店の前に到着し、携帯電話を開いて店名が合っていることを確認して扉に手をかけた。
 珍しくが電話に出なかったのでメールで内容を伝えた。その数時間後に届いた返事は、電話に出られなかった謝罪と待ち合わせ時刻と場所の指定だけの簡素な内容だった。
 広い店内は数名の客しかいないようで、の姿を探したがどこにも見当たらない。すると聞き覚えのある曲が流れ、自然とその音の方に反応した。
 明らかに店のピアニストではない見た目のがピアノを弾き、店内の雰囲気を作り出していた。これは初めてノストラード邸を訪れた時に聞いた曲だ。
 曲を弾き終えたの近くでパチパチと拍手をする。すぐ傍にいるクラピカに気づき目が合うと珍しくは驚いたように目を丸くした。

「まぁひどい顔」
「君に言われたくないな」
「そうかしら。それはそうと、拍手してくれてありがとうございます」

 立ち上がり恭しく礼をした。舞台上でも同じことをするのだろうが、クラピカはその振る舞いに疑問を抱いた。

「こんなところで簡単に披露していいのか?君のチケットは入手困難らしいじゃないか」
「そうなんですか?」
「センリツがそう言っていた。というか、自分のことだろう」
「ありがたいことですね。でもいいの。ここで弾いたって、興味がある人じゃないと私だと気づかないでしょ?」

 弾き終えたばかりだというのにクラピカの他に拍手をする客はいない。皆それぞれの会話に夢中になっているようだった。こういう店だから気兼ねなく弾けるのかもしれない。
 手袋をつけながら「席はそこだから」とが指したのはクラピカのすぐ近くだった。席に着き適当に注文をした後、はテーブルの上に両手を重ねた。

「マフィアは今殺気立っているでしょう。お疲れ様です。お嬢様は今後どうするんですか?」
「安全を考慮して国に帰らせることにした」
「そうですか……」
「何か心配事でもあるのか?」
「いえ、なんでも」

 オークションを心待ちにしていたネオンがそんな簡単に引き下がるだろうか。彼女がそこまで聞き分けのいい性格をしていないことは彼女との付き合いで知れたことだが、敢えては教えないことにした。何か彼女を納得させることがあったのかもしれない。
 ピアノの代わりに有線音楽が流れ始める。氷の入った水を一口飲むと、グラスの外側についた水滴が手袋に染み込んだ。じわりと指先に伝わる冷たさが気持ち悪い。

、君に一つ聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「占いについて何か隠していることはないか?」

 出された飲み物にも手をつけずにクラピカは早速切り出した。世間話をしてから緩やかに本題に入り食事を楽しむ、と言うの生きる世界での常識は彼には通用しないらしい。まるで早く話を終わらせてさっさと帰りたいと言われているような気がして、あまりいい気はしない。

「何かって何でしょう」
「ボスから君のことを聞いたよ。だからこそ顧客の中で君だけが"いつも通り"の結果だというのが不思議だった」

 結果を見せろと言われたらどうしようか。背中に冷や汗が流れたような気がした。
 いつも持ち歩いている鞄には楽譜のファイルとネオンの占いの紙が数ヶ月分綴じられたファイルが入っている。まるでクラピカはそれを知っているかのように、わざとらしく一瞬だけの足元にある鞄に目をやった。初めて空港でクラピカに会った時、断固として彼にスーツケースを持たせなかったことが裏目に出てしまったのかもしれない。
 店員が料理を運びにくると二人とも一旦会話を中断した。黙々と料理を並べる店員の目には二人が破局寸前の男女にしか見えなかったのだが、それは二人の知ったことではない。店員が離れてようやくクラピカが口を開いた。

「顧客は大金を支払ってボスに占ってもらうが君は例外だ。手の代金の代わりに占ってもらう。そして君が死んだらその手はボスのものになると聞いた」
「そうですね」
「脅されたわけでもないのに快く了承したらしいな。そんな君が死の予言を隠したがるのは他に理由があるのではないか」
「まだ私が隠していると確定したわけじゃないのに、貴方の中ではもう結論が出ているのね」

 占いに支払う金は免除される。その代わりに死んだ時はその両手を差し出すことで清算する。
 初めてクラピカはの黒い手袋を奇怪だと思った。手入れのつもりだと思っていたそれは自分のためではなく全てネオンのためのもの。人ではなく、ものとしての価値を守るためだけにそれをつけているのだ。
 殺し屋のチームに参加する旨のついでのようにそう教えられた。今はそれどころではないからという理由の他、恐らくノストラード自身、も顧客の一人として捉えているに違いない。
 ややあっては「その通りですよ」と残念そうに呟き、それ以外大した反応も見せず黙々と食事を続けた。ただそう言ってからクラピカが口を閉ざしてしまったのを見て首を傾げた。

「どうして貴方がそんな顔をするの?」
「……さあ。知らぬうちに疲れが溜まっているのかもしれない」
「優しい人ですね。脛に傷を持つ人間なんかに気を取られて死なないように気を付けて」

 恐らく褒め言葉と忠告なのだろう。言葉の内容とは違いそこに棘らしいものはないが、後者は皮肉にしか聞こえなかった。

「ヨークシンに着いて改めて占いの結果を見た時、やっぱりあの結果をお嬢様達に渡さなくて良かったと思いました」
「それではダルツォルネも君の占いの結果を知らなかったということか」
「いえ、恐らくちゃんと受け取ったはずです……偽の結果を」

 質の良さそうな黒い手袋は落ち着つかずにまだ指先を弄んでいる。これは本人も気づいていないの癖だった。それを続けながら一つずつあの日のことを思い出していく。

「占ってもらった日はお嬢様と一緒に眠りました。監視カメラなんてない部屋ですし、侍女も部屋にいない時間帯だった。お嬢様が寝ている間に筆跡を真似て、内容も似せた結果に書き換えたんです。月明かりを頼りに書いたから少し不安だったけれど……」
「すり替えたものをダルツォルネに渡したのだな」
「そうです。とある音楽家も月明かりの下で楽譜を書き写していたんですよ。まさか同じ経験をするなんて思いもしなかった」

 微塵の後悔も見せなかった。正しいことをしたのだと確信しているのだ。尊敬する音楽家と同じ経験をしたということが嬉しかったように見える。

「筆跡を真似るのは並みの人間では難しいことだろうな」
「生きるための技ですよ。昔はそういう練習もしていたんです。まぁその話はまた別の機会に……あまり褒められたことではないので」

 ずっと落ち着かなかった手はやっと重なって大人しくなった。話し終えたのと、これ以上深く聞くなという二重の意味があるとクラピカは悟った。

「占いの結果は他の顧客と同様か。内容に差はあっても死に直結したものであることには変わりないのだろう?」
「ひょっとして私はオークションに参加することになるのかしら、と思って最近色々なカタログを見ているのだけど、私が欲しいものはどこにもありませんでした。それ以外の何かで死ぬということなのでしょうか」

 いつもは物を失くすとか人間関係のこじれだとか、そういう不運さばかり綴られていた。死の予言だと言うのに詩が綴るおかげか文学的な美しさを感じ、どこか他人事のような気がしていた。
 恐らくは考え込んでいるのだろうが、クラピカの表情は硬い。マフィアの護衛とは皆こんな風なのだろうかとダルツォルネを思い出したが、あれとは似ても似つかない。
 それだけではなく、に対する態度も姿勢も何もかも違う。ダルツォルネに同じことを訊ねられたら同じことは答えなかった。

「報告します?」
「私はそのために君に訊ねたわけではない」
「貴方も私の共犯になってしまいますよ」
「ならば教えてくれ。君は何か目的があってノストラードファミリーに近づいた。違うか?」

 ちょうどその時、店内を流れる曲がぴたりと止まった。同時にの食事の手も止まり、この世の時間が止まったような感覚に陥る。外を走る車の音だけが遠くに聞こえた。
 次の曲が流れるや否や、は伏せていた目を上げて口辺に笑みを漂わせた。

「それはクラピカさん、貴方も同じじゃないかしら」

 お互いを探るように訝しむ目と冷たい目が交差する。
 暫し無言になった後、ふぅっとは息を吐いた。クラピカの答えははじめから期待していなかったらしい。ナイフとフォークを置いたは、片側の手袋を外してそれをまじまじと見つめている。クラピカに向けられた手のひらは白く指は細長い。
 人体収集家が虜になる手と言うが、クラピカの目にはも彼ら同様に囚われているように映った。そしては己の手から目を離さずクラピカの方を見ないまま呟いた。

「一つ誤解しているようですが」
「誤解?」
「私はこの手を渡すつもりなんてない。死んでも渡さない。お嬢様にも、他の誰にも」

 淡々とした声は背筋が凍るような冷たさだった。表情だけが違和感を覚えるほど柔らかい。その内側にある怒りとも憎しみともつかぬ負の感情はとても静かで、黒い手袋がそれを塞き止めているかのようだった。しかしの白い手がもう片方の手袋をゆっくりと外していく。

「誰にも奪われないように念をかけたのよ」

 被る猫はどこかに置き忘れてきたと思えるような憎しみを感じた。
 命よりも大切なものである白い手をが大事そうに両手で絡める。陶磁のような手の振る舞いが艶めかしく見えた。


Segreto - F. P. Tosti