初めてネオンに出会ったのは小さなコンサートホールの楽屋だった。
突然訪問してきた客にが驚いたのは言うまでもない。半ば強引にに会うための手段を行使したネオンは、気持ちは純粋なものであっても行いはマフィアの娘そのものだった。
期待の新人と謳われていたとは言え、当時のの収益は今ほど良くはなかった。新人ながらも脚光を浴びたのは練習を重ねて得た演奏技術と、生まれつき不思議な魅力を持つ自身の両手のおかげだ。恐らくどちらか一つだけでは今の生活は得られなかっただろう。
今日は知り合いの組の者に招待されて演奏会に来たのだとネオンは勝手に話し始めた。
ピアノの上で跳ねる白魚のような手がとても綺麗だった。
その手を眺めながら素敵な曲を聴けるなんて幸せだった。
もっと見つめていたい。
自分の手元にそれがあったらどんなに素敵だろう。
「だからね、貴方の手を買いとらせて!」
途中まではありがたいと思っていた感想はやはりそこへと辿り着いた。返答を間違えたらどうなるか、数秒のうちに嫌な考えが駆け巡る。それでもは悠然たる態度を貫いた。
こういう嗜好を持つ人間からの接触は複数回あったが、皆遠回しにそういったニュアンスを込めるだけだった。直接「欲しい」と言われたのはそれが初めてだ。くるくると表情が変わるネオンがあどけなく見えたが、中身は紛れもなく彼らと同じ人種だった。
◇
あっさり白状しながらはやたらと指先を弄んでいる。目の毒と感じてしまうのは念のせいなのだろうか。人体収集家ならその気持ちはより強いのかもしれない。
目を凝らさずとも感じるオーラは手袋をつけていないせいだろう。
悪情感に似た不快感さえ覚える。故意に見てしまえば悪趣味な連中と同じになってしまうような気がして、クラピカはなるべくの手元を見ないようにして耳を傾けた。
「私の手に何かしようとするとね……」
微笑んだままはテーブルの上のカトラリーケースからナイフを一本掴んだ。今までの話の流れからして、そのナイフをどうするつもりなのかクラピカにも大方の予想はつく。しかし静止の声を挟む間もなく、逆手に持ったままはそれを勢いよく自分の左手に突き刺した。
ガキン、と床に落ちた音とは違う独特な金属音が店内に響いた。硬度の高い鉱物同士がぶつかり合ったような音は、紛れもなく柔らかい人の手から発せられたものだった。
ナイフはの手に少しも傷を負わせることなく砕け散った。テーブルの上に散らばった金属の欠片はの手を避けて横に飛び散っている。
「私の手を見る人体収集家の目を見たことがありますか?お嬢様くらいの女の子ならまだいいけど、他は結構ひどいものよ」
「君が手袋をしている理由は貴重品を保護する布だと周囲に思わせておくためなのか?」
「それは建前で、単に人目に触れたくないだけ」
こうしている方が嫌な視線を避けられるのだと言って、は再び手袋をつけ直した。
正直なところクラピカにとってはこの状態の方がありがたい。ネオンのような気質が自分に備わっているとは微塵にも思わないが、の手にはそれを倒錯させる何かがあるのだ。
「ボスはそのことを知っているんだろうな」
「もちろん。だから私が自然に死ぬのを待っているんです」
ナイフが砕けた音を聞いた店員が慌てて二人が座るテーブルへ駆け寄ってきた。は壊したことの謝罪をして、机の上の欠片を拾い集めて店員に渡した。ひんやりとした空気を感じ取った店員はまたしてもすぐにテーブルから離れていった。
「忠告のつもりで教えたのに余計に惹かれてしまったみたいで」
「確かにその類の話はボスの好奇心を刺激するだけだな」
「そうですね。だからお嬢様は自分が傷つかずに済んで、なおかつ私の手も確実に手に入る方法を考えました」
卑怯だという非難は含まれていなかった。望む物を手に入れるためなら何でもするのは当たり前、という価値観を理解している。
もまた目的は違えどもネオンに限りなく近い人間だった。それは同時にクラピカ自身にも近しいものだと理解して、複雑な思いと少しの嫌悪感で眉根を寄せた。
「占いで判断するのだな。君が死んだ後に貰い受け、もし死ぬ予言が書かれていたら君は……」
「予言の通りに従います、と契約した時は言いましたが私にそのつもりはありません。見たでしょう?お嬢様と出会う前からこの手はご覧の通り、怪我一つ負ったこともない。でも死んだ後は分かりません」
「死後強まるとでも言いたいのか」
「そうかもしれないし、意外とあっさり消えてしまうかもしれない。私が死んだら確かめて下さい」
たった今見た生身の手はある意味で扇情的なものだが、オーラ自体はどす黒く何か歪んだ感情が詰まったように見えた。そういう手なのだから、もしが死んだとしてもますます強まるとしか思えない。どう見てもあっさり消えてくれそうなオーラには見えなかった。
薄暗い感情や死と直結するものに惹かれる人体収集家にとっては至高の宝。手は生きているから尚のこと魅力的に見えるのだろう。恐らくもそれを分かっていて愛想を振りまいているのだ。
反吐が出る。いつものクラピカならそう思うはずだった。
「今回の占いのこと、ノストラード様とお嬢様には内緒にしてくれるとありがたいわ」
「……私に言わなければ済む話だったのではないか?」
「どうせ疑われていたし、言わないと貴方に信用してもらえないでしょう。というかクラピカさん、さっき言いましたよね。糾弾するつもりで訊いたのではないと。だから本当のことを話したのよ」
「君が占いを書き換えた時点で信用も何もない気がするのだが」
「あら、死にたくない人間がそんなことをしたらおかしい?」
くすくすと口元を手で隠して笑った。馬鹿にされているのではない。何かが面白くて仕方がない、というだけだった。普段の愛想笑いよりはよっぽど自然だが、この流れでは不自然だ。
死の予言が出たからと懇願するわけでも縋るわけでもない。一層のこと助けてくれと言われた方がまだこちらにも手がある。
死にたくないと言う人間はこんな風に笑うはずがないのだ。命が惜しいから死にたくないと言っているのではなく、目的を果たしていないから死にたくないのだとクラピカは悟ってしまった。
Gnossiennes - E. Satie