理想






 あの時、手を買い取らせてほしいと言われたは呆気に取られた。遠回しに言われた時の拒絶の常套句なら用意していたが、ここまではっきり言われては困ってしまう。
 がうんと頷くとでも思っているのか、ネオンはずっとにこにこと嬉しそうに笑っている。こちらが悪いわけではないのに何故か申し訳ない気持ちにさせられるのだから、この子は将来大物になるのかもしれない、と思った。

「……それは、私は殺されるのでしょうか?」
「えっ、どうして?」
「欲しいということは、手を切り取るということですよね」
「手がなくても生きていられるでしょ?あ、義手なら買ってあげるよ。上質なやつ!」

 ぱっと笑顔で答えるネオンは、子どもが母親に向けるようなあどけなさを持っていた。不思議と怒り一つ沸いてこないのはネオンに悪意がなかったおかげだったのかもしれない。
 そしてはそれを諭すような言葉を慎重に選ぶ。

「まだ新米の私にはとても恐れ多いことです。も知れ渡っていないピアニストの手に価値なんてありません」
「そうなの?私、音楽のことはあんまり詳しくないんだけど、貴方はまだ新人なんだね。あんなに上手になのに」
「ありがとうございます。……それに、義手ではピアノを思うように弾けなくなってしまいます。私は好きでピアノを弾いているので」
「じゃあ生活に困らないように援助してあげても駄目かぁ……」

 金で全て解決しようという考えは理解できても、施しを受けることはは好きではない。ピアノを弾けず、ただ援助を受けて生きるなんて考えただけでも恐ろしい。
 これで諦めて帰ってくれたらと思ってたが、ネオンはしばらく唸って悩み続けている。申し訳ないけれど、ともう一言付け足そうとすると、勢いよく顔を上げての顔を覗き込んだ。

「そうだ、じゃあ毎月私が貴方の未来を占ってあげる!」
「占い?」
「うん。いつも偉い人達を占ってるんだけど、百発百中なんだって。他の人からはお金もらって占ってるけど、貴方の分は特別にタダで占ってあげる」
「百発百中……」
「悪いことを予知するから、忠告を守れば悪いことは起こらないって……あ、勘違いしないで!貴方が死ぬことを占いたいわけじゃないの」

 わたわたと手を振って否定する様子は嘘を吐いているようには見えない。
 しかし、本当にそう思っているのかとが疑ってしまうのは仕方がないことだ。こんなに執拗に訴えられるのは初めてなのだ。

「手は欲しいけど、貴方のピアノが聴けなくなったらきっと楽しくないし、貴方が生きてるうちに沢山聴いておきたいな」
「……死ぬ予言が出たらそのまま死ねと?」
「それはできればもうちょっと仲良くなってからの方がいいけど……」
「仲良く?」
「うん。私と友達になって!」


 眠っていたわけではないが、目を閉じている間は疲れを忘れさせてくれる。昔を思い出してしまったのはオークションと少なからず繋がりがあるからだろうか。あまりいい気分にはなれずゆっくりと目を開いた。
 とある企業の本社を訪れてしばらく。この会社の役員である男を訪ねに来たが、あいにく会議中だと秘書から告げられた。
 それから十数分後、ようやく会議が終わった男が書類の詰まった鞄を抱えて走ってきた。遅れてすまないと何度も謝られた。こうして見ていると爽やかで人当たりのいい大企業のエリートなのだが、が訪れた目的にそれは関係ない。

「はい、これで君もオークションに参加できるよ」
「ありがとうございます。よかった、参加証が要るなんて知らなかったから」
「分からないことがあれば何でも聞いてくれ」

 参加証を受け取り自分の鞄にしまい込む。相談したのがこの男で良かったと胸を撫で下ろした。
 以前詳しく話を聞いておかなければ、ヨークシンに来たこと自体無駄になるところだった。オークションもマフィアも、それぞれの事情は詳しい人物から情報を得るべきだ。
 これ以上の滞在は面倒になるのでとっとと撤収したい。しかしの分の参加証を入手しただけでなく、スポンサーにもなってくれたこの男を無下にできないのも事実だ。
 普通に見える人間が一番恐ろしいのかもしれない、と相槌を打ちながら思った。
 目の前の男もまたその一人で、信用のおける社会的地位を持ちながらその実は人体収集家の一面を持っている。優しそうな人だというだけに残念すぎる。周りに話を聞いてくれる人がいないのだろうかと、少しだけ憐れんだ。

「今年は緋の目も出品されるみたいだ。私も昔大金をはたいて一組購入したが本当に美しいよ。だがあれは多くの愛好家が狙っているんだ。もう一組欲しいところだが……」
「ひのめ?」
「滅亡した特殊な民族の目だよ。怒ると目が赤くなって、そのまま死ぬと永久にその色が瞳に残るのさ」

 聞いているだけで不快感を覚えた。できれば一生お目にかかりたくないと思っていたのに、男は嬉々としてにカタログを見せてきた。ほら、と指されたのは液体に漬けられた眼球の写真。瞳の色は本当に緋色だった。
 カタログの写真に夢中な男の横では僅かに眉をひそめた。男の話などほとんど耳に入ってこない。しかし「殺された」という言葉だけはしっかりとの耳に届いた。
 怒りで目が赤くなると言うからには、元の目の色は異なるのだろう。わざわざ目を赤くさせてから殺すあたり、酷いという一言では済まないくらいに不愉快極まりない。

「……ごめんなさい、そろそろ戻らないといけないの」
「ああ、引き留めてすまなかった。オークションの日はどうする?」
「せっかく参加証を取っていただいて申し訳ないのですが、実は夕方まで仕事があるんです。到着するのはぎりぎりになってしまうかも」
「そ、そうか」

 一緒に行こうなんて言われたらたまったものではない。言い訳をしてはすぐにその場から離れた。ビルを出たところで疲れたようにため息を吐く。
 不愉快な話題に笑顔で相槌を打ってあげる義理はないのだが、自分一人では参加証を手に入れることはできなかった。仕方がないと礼を兼ねて付き合ってあげたが予想以上に長引いてしまった。
 ふと先日会ったばかりのクラピカを思い出す。ネオンが趣味の話につき合わせるためにクラピカを呼ぶとは考えにくいが、仕事のできる彼のことだ。いずれはそうならざるを得ない状況に置かれてもおかしくない。
 自分は何年もこんな生活をしているせいで猫を被ることにはすっかり慣れてしまったが、クラピカもいつかこうなるのだろうか。想像して思わず苦笑いをする。

「それはちょっと不気味かも」

 八方美人なクラピカなんて、元の彼を知っている人物なら気が触れたとしか思わないだろう。
 欲しい物を手に入れるのなら、自分のように醜く媚びへつらうのではなく他の手段を取るはずだ。彼はきっと自分のようにはならない。
 クラピカの人一倍高い自尊心と、彼が抱える秘密に対して持つ誇り。自分にはない気高さを持つ彼が羨ましかった。


Die Ideale - F. Liszt