絞首台






「何か他に必要な物はある?」
「個人的な希望なんですが、できたら上階がいいな……なんて今日は難しいですよね」
「わかった。ちょっと待ってて」

 我儘な要求にも関わらず彼は従い、どこかへ電話をかけた。
 彼がこのビルに残っていたのは幸いだった。オークションの入場許可証だけではなく部屋まで手配してくれるとは、協力者と言うより共犯者と言った方がいいかもしれない。
 しかし従順過ぎやしないだろうか。自分の手だけでなく男の気質にも恐ろしくなった。
 騒ぎの中、わざわざ駆けつけてくれるくらいには慕われているのなら結果的に事なきを得た。善意を利用するようで申し訳ないが、今はそれにつけ込むしか方法がない。
 ただ一つ不満を挙げるのなら、先程から電話をしながら不躾に上から下までじろじろ見つめられていることだ。遮るように背を向け、見飽きた夜景を眺めるふりをして男を待っていた。

「ところで珍しい格好をしているね。てっきりドレスで来るのかと思ってたよ」

 それでじろじろ見ていたのかと納得した。
 電話を終えた男の様子を見る限り、部屋はどうにかなったらしい。

「実はこっそり抜け出してきたの。ドレスだとバレちゃうでしょう?」

 幸い顔には傷はなく、頭の傷も大したことはない。基本的に細かいところを見ない男はの嘘をあっさり信じた。
 クラピカと別れた後、ドアが開いた客室に忍び込んでパンツスーツを拝借した。サイズが合ってないのでベルトが欲しい。そして申し訳ないがこの服は用事が済んだら燃やすつもりだ。
 怪我を悟られないためにはその場しのぎの雑な言い訳をするしかなかった。この男もの手の噂を知らないわけがない。手を奪おうとした者は必ず死ぬ、という噂に惹かれてこういう輩が寄ってくる。
 顔の傷は化粧でどうにかなった。表に見える傷は全て隠れているが、この男にもそれを知られるわけにはいかない。知られた後、男がどういう行動に出るか想像するだけで恐ろしい。には防御する手段が何もないのだ。

「ここってブティックも入っていたかしら」
「ああ、1階と12階に揃ってるよ」
「じゃあ後で行ってみます。この格好だと浮くみたいだから」

 あわよくば管制室に侵入したいとも思っていたがきっと叶わないだろう。都合よくデータを消すまで行かずとも、この男を使ってどうにかできないものか。
 いつもなら上手く頭が回るのに、肝心な時にそれができない。
 心身共に疲労している。どう考えてもネオンやクロロ、怪我など今夜起こった全てが原因だ。
 こんな状態で動き回ろうとしても失敗は目に見えている。とにかく早く一人になりたかった。

「部屋を手配してくれてありがとうございます。今度お礼に招待券を送りますね」
「本当に?それはありがた……」

 営業的な会話を遮るように建物全体に鈍い音が響き渡り、ミシミシと揺れた。
 上階にいるせいか、揺れのせいで足元が安定しない。壁に手を這わせて揺れが収まるのを待った。先ほどの爆風よりも更に強い威力のように感じられたが、何かが衝突したような振動と重低音はしばらく耳に残った。
 揺れが収まる前に、男は再び携帯電話を取り出した。

「な、何だ今の?ちょっと確認してくるから、君は部屋で休んでて」

 慌ただしく男が走って行くのを見送り、揺れが小さくなくなってから移動した。手配してくれた部屋に着くまでの間、揺れも爆音もなく、誰ともすれ違うこともなかった。
 与えられた部屋のドアを開け、電気もつけずにベッドへ直行した。
 ゲストルームの中でも特に上等な部屋なのだろう。広さと景色は申し分ない。先程の揺れのせいか、壁に掛かっていた額が少し斜めにずれていた。
 それを直さずに上着を脱ぎ捨て、どさりとベッドに倒れこんだ。窓の外はプラネタリウムのように小さな光がいくつも瞬いていた。
 銃撃戦が行われていることが推測できる。と思っていたら今度は爆発音がここまで聞こえた。先程の揺れもその延長なのだろう。悔しいがここから出ない方がいいという忠告は当たっているようだった。
 とにかく疲れた。このまま眠ってしまいたい。流石は高級仕様のベッド、心地よさは段違いだ。深く沈んでいきそうになる。……




 全く記憶がないのにはロビーに立っていた。
 ガラスは割れておらず、沢山の客が賑わっている。ここへ来た時の服も綺麗なままで、怪我だってしていない。きっと夢を見ているのだ。
 ふと通路の奥を見ると、見覚えのある後ろ姿が見えた。他の客と同じような恰好をしているのに、その男の姿はの目には異質に映った。
 頭に包帯を巻いた男はとあるドアに手をかけ、初めからが視線を向けていたことに気づいていたかのように振り返った。内緒話をするように人差し指を口元に当て、微笑を向けた男はそのままドアの奥へと消えていった。……




 突然の大きな音に叩き起こされた。最初よりもひどい衝撃音で部屋全体が揺れて、ドア付近にあった額縁はついに床へ落ちた。
 これはまずい。気怠い体を無理矢理起こす。時計を見ると、僅かな時間だがやはり眠ってしまったらしい。
 カードキーを持って部屋を出て、下の様子を見るためエレベーターで下へと降りて行った。ついでに買い物も済ませてしまいたいが、果たして店は無事なのだろうか。
 少し眠ったおかげか頭が覚醒した気がした。これからどうするのか、頭の中で順序よく組み立てられていく。そういえば結局オークションはどうなったのだろう。
 我儘な要求を呑んでに部屋を与えてくれたあの男はこのビルの関係者だ。今も慌ただしく奔走していそうなので、会うのは難しいかもしれない。
 1階に到着したエレベーターから降りて辺りを見渡す。すぐに見つけてしまった。
 の予想とは裏腹に、その男はロビーのソファでうなだれていた。恐る恐る歩み寄って声をかけると、草臥れた笑みを浮かべた。

「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとね……」

 明らかに何かあったようだが、責任者としてはまともらしく、部外者であるには口を割らなかった。
 気にはなるが深く訊ねようとは思わなかった。ただ、状況が数時間前の自分と似ているのが気にかかる。よくよく見ると、男が座っているのはがここへ来た時にへたり込んだソファと同じだった。まだ夢を見ているのでは、と軽く頭を振った。
 しかし同じようなことが自然と口から零れてしまった。

「何か飲みます?買ってきますよ」
「いや、大丈夫だよ」
「少し休憩した方がいいわ。お礼としては足りないくらいだけど、部屋まで手配してもらったんだもの。これくらいはさせて下さい」

 よほど困憊しているのか、男はまだぼんやりとした顔でを見上げている。押し問答をしても切りがないので、再び何か言われる前に飲み物を買いに行くことにした。
 少し離れたところにある自販機へ向かう途中、マフィアらしい男達とすれ違った。言葉尻しか捉えられなかったが、オークションは開催されたらしい。というかもう終盤らしかった。
 あの男が落ち込んでいたのは目当ての品を競り落とすことができなかったから、ということもあり得る。それなら多少いい気味……と思いながら歩いていると、うっかり前方から来た誰かと肩がぶつかった。

「ごめんなさ……」

 目が合った瞬間、血の気が引いて体がすくんだ。
 金の髪、青い服、赤い瞳。
 銃を持ったマフィアや刃物を持った暗殺者なんて可愛いものだ。ただ目を向けられただけで殺されてしまいそうなほどに、その目は憎悪に満ちていた。
 声をかけたら殺される。無理矢理喉元を押さえつけられているような、触れていないのに絞められている感覚に冷や汗が流れた。
 けれど無関心な視線はすぐに逸らされた。はじめからなど視界に入っていないかのような冷酷さを含んでいた。
 何も言わずに彼は行ってしまった。まるで地獄にでも向かうかのような気配だった。
 ゆっくりと時間が流れたように感じたが、ほんの数秒の出来事だ。知らないうちに呼吸を止めていたようで、途端に荒く息を吐いた。振り返ることもできず、息を吸い込むために胸と喉を押さえることで精いっぱいだった。


Le gibet - J.M. Ravel